ロック・クリスタルのネックレス

ロック・クリスタルのネックレス(長さ 約50cm)、スコットランドで友人から仕入れた物で、スコットランドの古い家に代々所有されていたらしく、クリスタルは元々アフガニスタンかその近隣国の出土の物だそうです。パワーありますよ。これを首に巻いて怪しい宗教でも興せそうな雰囲気の物です。

暑いですね、やる気もなければ夕方にはもう怠く感じてきて。これを夏バテと言うんですかね。さっきふと自分が幼稚園に行ってたときのことを思い出しました。突然に何の脈絡もなく。当時僕は大分県の日田という小さな盆地に住んでました。その前後、両親の仲が悪く父は阿蘇山の方に住んでいて別居していて、母は自分で小さな食堂を街中で営んでいました。住居兼の食堂には、さぎりちゃん、という名の18、9の女性が住み込みで働いていて、母と三人で暮らしてました。店の斜め前が大きな製材所で(日田市は日田杉で有名)、製材所の板張りの床下にある地下室のような場所に、時々女の子とかと数人で潜り込んでお医者さんごっこをやってました。父が少し前に肝臓を患い長期の入院をしていたので、女の子の胸に聴診器を当てて、肝臓が悪いですよ、と何時も言ってました。幼稚園の若い女性の先生が美人で時々朝迎えに来てくれてました。そのスラリとした美人先生、ずっと後になって誰かと駆け落ちをしたという噂を聞きました。プロテスタントの幼稚園でしたが、その前後二三年は暗かったのか何にも覚えてないんです。たまに父が帰ってくると何時も火が吹いたような夫婦喧嘩で、僕も小学校に上がると毎日喧嘩で何時も血を流して帰って来る始末。ある日さぎりちゃんと町の外れにゴーカートを乗りに行ったら、僕の運転が下手で何処かにぶつけるか何かして、それを帰ったらさぎりちゃんが母に告げ口するんじゃないかと、暗くなっていたのも何となく記憶にあります。

小三になると父と母がまた一緒に住むことになり、福岡に移るんですね。それで僕も福岡の小学校に転向し、今度は四年生の冬に大火傷を負い死にかけるんです(火傷で運ばれた診療所の医者は僕の目の前で、今夜死ぬかもな、、って無神経にも言うんですよ。それで僕が、先生死ぬって何ですか、って訊いたら、先生が、うるさい、って怒鳴ったんです)。そのときのケロイドは今も腕にあります。学校でその頃虐められていたので、僕は田舎の日田にまた帰りたいと言って、帰るんです。あの時大火傷をしていなかったら、今こうして金沢でアンティークの店をしていないでしょうね。まあとにかく小さい頃は暗かったですね。