1800〜20年頃の白いティーカップ

イギリス、1800〜20年頃のティーカップ(カップ、5,8 x 8,4 cm。ソーサー直径 13,8 cm)、絵柄はプリントです。この時代の量産品ですね。でも流石二百年も経っているので完品で残っているのは意外と少ないです。僕はこの地味なデザインが好きですし、余白が沢山あるのもいい。これが少し経ってヴィクトリア時代に入ると、まあ簡単に言うと派手になります。日本の骨董で言うと江戸中期、後期辺りまでの渋い感じが幕末、明治になると一気に派手になるのに少し似ています。ヴィクトリア時代は割と長いので一纏めには言えませんが、その前の時代と比べると装飾も派手で、分かり易くなります。当時の新興ミドルクラスの趣味に合わせて作られたんでしょう。新しいマーケットに作る側が媚びていったんですね。そして、19世紀も後半に入るとロアー・ミドルクラスの人口も爆発的に増えていき、更にその上のクラス(ミドル・ミドルクラス、アッパー・ミドルクラス)の真似をしたがるロアー・ミドルクラス向けの比較的廉価な贅沢品が沢山作り出されます。そうやって贅沢品の裾野は広がり、趣味とクオリティも徐々に下がっていきます。


今日は何故か治りかけていた痛風の調子が悪い。だからか、やる気がない。足が痛いとそこでエネルギーを消費するので、ただいるだけで疲れるのだ。ネットで注文していたリチャード・ブローティガンの本、「不運な女」が届いた。藤本和子さんの翻訳だ。原書は持っているのでこれで両方揃った。先ずは彼女による後書きを読む。前回書いた「ハンバーガー殺人事件」の翻訳をブローティガン自ら藤本さんに依頼したのだが、彼女は忙しくて出来なかった経緯がそこに書かれていた。とても残念。彼女が訳していればこんな間抜けなタイトルが付けられることはなかっただろう。

まあ兎に角、この本が手元に届いたことが今日の足の痛みを少しだけ和らげてくれるだろう。それだけ僕にとっては特別な作家だから。藤本さんとブローティガンは確かアメリカの日本食レストランでブローティガンがすき焼きか何かをつついているときに偶然出会うんですよね。丁度その時彼女は彼の本を訳してて、、。確かそんな展開だったと思う(僕の記憶は大体違ってるので、彼女の「リチャード・ブローティガン」という本で確認下さい)。

リチャード・ブローティガン、彼ほど簡単な言葉だけを使って不思議に難解な世界を表現し得た作家は稀有だと思う。