1800年頃のティー・キャディー

イギリス、1800年頃のティー・キャディー(紅茶入れ、タテ x ヨコ x タカサ、10,2 x 13,8 x 10,7 cm)です。木はオークで、鍵も付いています。この頃はまだ紅茶が高価だったので鍵をかけていました。恐らく上級メイドの一人が管理していたと思います。この紅茶入れは、といってもオークで作られているので幾分庶民的。僕はこの箱中々味というか雰囲気があって好きです。

今回クラウドファンディングで資金を募り作成する「そらあるき  臨時号」は主にエッセーと本の紹介ページの二本立てになる予定です。全部で約25名の方に参加頂きます。自分も本の紹介をするのですが、今日の昼間本が散乱する自分の部屋で手近にある本を拾い読みしながら、紹介したい本が余りにも多くあるように感じられてきて、多少当惑していました。スターリン圧政下の民衆、チェルノブイリの原発事故、イラク戦争のアメリカ帰還兵、明治期の自由民権運動、イギリス社会階級の変遷、隠れ切支丹、日本軍支配下の上海の知識人、などなど私の興味の幅というよりとっ散らかった感じは、何処にも収束もせず、本が床や書棚に散乱する様は私の関心の散らかり具合いをそのまま現してもいるわけです。今日も昔の文学全集の別冊の随筆集にあった、横光利一の随筆を読んでは感心し入っておりました(この中で彼は谷崎の「春琴抄」を読む者の効果だけを考えて一番困難な問題から逃げていると批判していたのが面白かった)。横光や安吾などを読んでいると随分と老成している印象を持つのですが、二人とも五十もいくかいかないうちに亡くなっております。あの頃の五十歳は今で言うと七十かそれ以上の印象かもしれませんがね。今の私達の年齢を七掛けすると一昔前の人達の精神年齢だ、みたいに言いますよね。いやもう最近は五掛け位かもしれませんね。話しは戻りますが、昔の文学全集に必ず挟まっている薄い冊子がありますね、十ページもないやつ。あれを集めて読むのがとても好きですし、中々いい文章やちょっとオフレコみたいな対談があって面白いんです(昔は一冊の本出すのに付録にもしっかりとお金と時間を掛けていたんですね)。あれが欲しくてバラになった全集を買うこともあるくらいです。

今から部屋の本を漁って探し、どの本を紹介するか決めたいと思います。期待せずにお待ち下さい。