レモン・スクィーザーのジン・グラス

フット(脚)部分が四角で、その底面に型押し模様が付いているジン・グラス(8,4 x 4,0 cm)。1800年頃のイギリスの物で、型押し模様はレモン絞り器に似ているので俗にレモン・スクィーザーと呼ばれています。かなり珍しいジン・グラスです。1770〜1830年のジン・グラスはそれなりに沢山持っています。売れようが売れまいがずっと買い続けていたので、これだけ持っていますが、今からこれだけのヴァリエーションのジン・グラスを集めようとすればほぼ間違いなく不可能でしょう。イギリスにも無いですから。

(前回の続き)

さて、沖縄を出て東京に来てみたものの何のあてもなく、直ぐに行き詰まりまして、取り敢えず友人のアパートに数日泊めて貰いました。一方、僕が沖縄を出たことを知った両親は僕の友人知り合いに片っ端に電話を掛けていました。当時はネットや携帯電話などまだありませんから、電話が唯一の方法ですね。そして、僕が東京の友人の家に滞在していることを突き止め、取り敢えず九州の実家に戻るよう僕は説得されました。それから僕は東京から電車を乗り継いで西へ西へと移動して行き、岡山まで行ってそこから電車で日本海に抜けて、山陰海岸沿線をまた電車で西へと行きました。松江へ向かう電車の中だったかと思います。そのとき読んでいた本は不思議と覚えていて大岡昇平の『野火』でしたね。電車の座席から当時の自分には荒涼と見えた日本海の海岸風景を眺めながらなんとも寂しく苦しい気分でした。僕の斜め前に五十代位の男の人が居て気が付けば彼と話していました。新潟から来ていた漁師で何とも豪快な感じの人で、彼の若かった頃のことを色々と話してくれたのですが、その内容は、若い頃学校の女の先生を犯そうとしたり、誰かを日本刀で斬りつけようとしたり、田中角栄が話に出て来たりで、何処から何処までが本当でどれが作り話しか判らないけれど、戦前戦中の過激な話題が満載でした。彼の話し方には当時の荒れた僕の心に妙に響くものがあり、僕は彼と話していてどうしてかとても感動したのです。いや、感動したというより、自分が悩んでいたことがちっぽけなものに思えたのかもしれません。話しを聞いている最中、通路を挟んで斜め向かい辺りの座席に矢張り五十代位の小柄で痩せた男性、昭和には見掛けたような、背広を折り目正しくきちっと着た人が時折こちらの方を見ているような気がしていました。島根県のある駅で電車が停まるとその厳しい感じの背広の男性が降りるときに僕の前で立ち止まり僕にこう言ったのです。貴方は今とても貴重な話しを聞きましたね、何時までもこのことを忘れないで覚えておきなさい。それだけを言うと彼はさっと歩いて降りて行きました。僕は、この出来事にとても感動して、ただでさえ心はささくれだって荒れて感じ易いですから、それはもうジーンときた訳ですよ。昭和60年頃でしたか、思えばまだ人が人にこんな言葉を吐く時代だったのですね。もう漁師の男の話しの内容は覚えていませんが、その紳士が僕の目の前に近づいて来たときのことは忘れられないですね。(続く)