ドローイング(額付き)

1939年7月25日のサインがあるドローイング(額の大きさ、40 x 35 cm)、画家はイギリス人で、風景はイタリアのようです。好きな素描ですが中々売れませんね。まあいいんですけど、売れたほうが嬉しいかな、という感じ。

今日もまだ痛風の痛みがまだあり、夕方になると疲れていて何時もに較べると集中力がないです。今日もアドリブで書かせて貰います。すみません。あまり面白いものは書けそうにないですが。

今日、仲良くしている飲食店経営(詳しく書くと誰かバレるのでぼかします)の友人が遊びに来られて暫く話していました。彼は今お店がお休みなので無精髭を生やしていて、顔を改めて見ると中々に渋いいい男に仕上がってるので、ヒゲ生やせばいいじゃないですか、と僕が言うと、矢張り飲食のお店をやっているとヒゲを好まないようなお客さんもいるらしく、ヒゲを生やすのはリスクがあるそうで、今彼は50前後の歳なので、じゃあ還暦になったらみんなも納得してくれていいんじゃない、と二人で言ってました。

僕はご存知の通りヒゲないですが、僕がヒゲ生やすと、香港か何処かの麻薬ディーラーみたいな(今以上に)胡散臭い顔になるんです。カッコいいというより、ただ微妙な雰囲気を漂わすだけです。大体男がヒゲを生やし出すときにはそれなりの隠れた理由があるもんだと推測しています。(僕の大好きな年上の友人男性は例外ですが)男がある程度歳を重ねていき、精神的に行き詰まって伸びしろがなくなると、ヒゲなんか生やしてみて、その停滞をヒゲの出現にすり替えて誤魔化す、というケースがしばしば見られます。そういうヒゲはいつまで経っても顔の中で納まりが悪く、おヒゲだけが何処となく浮いて見えるのです。そういうおヒゲは先ず女性にもてません。女性は直感でその辺の僅かな誤差を見抜くからです。

本当におヒゲの似合った男性のことを目の前にいないときに想像しても、その人のお顔の中でヒゲだけが取り立てて突出して見えてくるということはなく、おヒゲは全体の中で調和しているので、あたかもヒゲの無いお顔のように思い出されるのです。そんなおヒゲはいいおヒゲだと思います。

以上、僕のヒゲに関する私見でした。