恐らくシャンパングラス

1880年頃のグラス(12 x 7 cm)、イギリスの物ですが、恐らくシャンパングラスです。普通のクープよりちょっと幅が狭いのですが多分シャンパン用でしょう。グラスの生地とカットのクオリティはとても良いですね。かっこいいグラスです。

人と会うことの意味が今程揺らいでいるときもないだろう。勿論、国民ほぼ皆んながスマホを操る昨今、人に会わなくても済んでしまう環境がが整いつつあったのは事実であるが、今のこのコロナ禍の影響で実際に人に会わなくても事が済む社会の流れを構築しようと社会全体が急加速しているのは事実だ。

本来、人と人が会えばそのときに交換される情報量は膨大なものだ。いや、情報量という言葉は相応しくないかもしれない、言葉以外に、顔の表情、目の輝き、唇の動き、微かに伝わる匂い、身体から発せられる威圧感、手の指の仕草、実際の声のトーン、微妙な声の変化、部屋の湿度など、挙げだしたら切りがない。これらが全てではないにせよ、交わした言葉に付随するものとして記憶の中へ仕舞い込まれ、人はときにそれを思い出し反芻しながら、色々と思い巡らしたりする訳だ。その長年の集積を「経験」と呼ぶこともあるだろう。

さてこれがオンライン上で「会う」となったときに、この重層的なもののやり取りが如何にクシャッと平面化単純化されるのか。これはもう次元が全く違うものであろう。オンラインで「会う」ことが当たり前になれば、人の記憶というものが徐々に厚みと深さを失い平板化して、人間というものの質までも大きく変化させてしまう出来事だと思うのだが。

僕は思う、人が数千年以上前から続けて来た行為をそう簡単に簡略化して、果たして人間はまともでいられるのかな、と。僕はコロナよりそういう変化のほうが長期的には怖いと思っている。