カラフを一輪挿しに

1900〜20年、イギリスのカラフ(25 x 11 cm)ですが、一輪挿しに使ってみました。この形は珍しいですね、背の高い二等辺三角形。カラフでこの形は余り見たことがないです。バラの花は野生らしく、昨日頂きました、綺麗なバラですね。


ほぼ毎日机に就いて物語を書いている(小説とは言いたくない、小説は西洋の近代に芽生えた形式だから敢えて物語という呼び方に拘っている)。書き直しの原稿がやっと原稿用紙換算で140枚程になった。中々進まない。物語をどうやって書いているのか、どうやったら書けるのか、もし誰かに訊かれたら答えられることは殆どない。強いて言えば「(物語を)書く領域」とでも言うものが存在していて、集中しているとそこに降りていくことが出来る。そこに降りると物語と繋がることが出来る。そこに居る間は言葉が力を持った粒子のように感じられ、言葉には特別の重さや匂いがある。そこでは言葉は別の世界を成していて、それに人間が「言葉」という名を与えているに過ぎず、つまり、その唯一独自の世界を「言葉」という道具で訪うことが出来るようになってはいるのだが、その「言葉」という表層だけがその世界から剥がされて、「言葉」はその核心部との繋がりを失い、皮だけがヨロヨロと未だにコトバと呼ばれながら煩雑に使用されている状況が今なのだ。

この表層部のやり取りだけで完結して成り立っている世界というのも奇妙に病んだもので、そこで平然と生きていける人間も可成り際どい存在だと思ったほうがよいし、その表層部でコトバの表出、交換等が上手くこなせれば、それは取り敢えずの成功であり、それ以上はとやかく詮索したりしないのが昨今の「大人」らしい。