ウイスキー用のデキャンタ

表面に Whisky の文字が彫られてあるデキャンタ(21,5 x 9,5 cm)です。シルバーの刻印はシェフィールド、1899年か1908年のどちらかです。トップ(蓋)は中空に作られています。Whisky の文字は結構深彫りですので、本体のガラスも結構厚みがあるようです。結構珍しい物だと思います。今迄に類似の物を見たことはありません。

最近皆んなマスクをしているので人と会っても、人を見かけても顔の上半分しか見えない。これはとても残念なことだ。何故かって、人の顔は思うに、眼と口元、でその人間の人となりが推測出来るというものだから、その二つの内の一つは隠れていて見えない。これは事件ですよ皆さん。世の中に自称「詩人」と言う人がいる、新聞や雑誌などの取材記事や寄稿文の肩書きに「詩人」と書かれていている。その直ぐ横にあるその「詩人」のお顔を眺める。僕は思う、よくこのツラでシジンなどと言えるな、と。その眼も宜しくないが、それ以上に緩んだ口元の表情。まあそのアホ度胸だけは評価しよう、でもね、その前に自分のお顔を鏡に写して眺め自問してくるといい、なあに、五分とかからないから、自分のその顔がシジンたり得るか点検御覧なさい、と僕は心の中で言ってしまう。

古い写真だがナダールの撮ったボードレールの写真を思い出す。一度だけヴィクトリア&アルバート美術館でオリジナルを見たことがある。あれはまがうことなき詩人の相貌を見事に捉えている。ウェールズの詩人ディラン・トマスの顔もいい。詩人ではないが、ブレッソンの撮ったフォークナーの精悍な顔や、同じくブレッソンの撮ったパイプを咥えるサルトルのポートレートも忘れ難い顔をしている。ブレッソンの写真が特に好きなわけではない、だって、何処かしらキマりすぎててワザとらしいから。でもいい写真ではあると思う。

詩人に戻ろう。あれは、自称するものではなく、特別の例外を除けばだが、人から言われ始めて初めて「詩人」になるのだと思う。詩を書くからそれが詩人に直結するのではなく、その「詩を書く」行為と「詩人」の間には細くて壊れやすい橋が架かっている、そう喩えたらいいだろうか。