薄手の高級タンブラー

薄手の高級タンブラー(14 x 8,5 cm、横幅は上部)です。1870〜80年頃のイギリスの物。この大きさでこのハイクオリティーのタンブラーはとても珍しいです。ニ客しかありませんが、それでもかなりレアです。薄いから軽いですよ、当たり前ですがね。

前回の記事が暗かったので、友人などのそれを見た人から、大丈夫か、と訊かれました。すみません、暗いのは一日半で終わりました。今は普通です。でも、やはりこんな時期ですから腹の立つことは多いですよ。だって色んなことが不公平過ぎますよ。

今朝家でこんなことを考えてました。お金にも名誉にもならないことを熱心にやり続ける人がどれ位いるのか、それが街の面白さを測る物差しになるかな、と。そんなことを考えてたら金沢の街外れに二十年位前にあったお蕎麦屋を思い出しまして。その当時で五十位の男の人が、小さな民家を借りて一人でやられていた蕎麦屋で、一人で蕎麦打ちをして、接客もされて、度々腰を悪くされてコルセットを巻いておられました。蕎麦と一緒に出て来る麦ご飯のとろろ飯がとても美味しく、うなぎ料理もされてましたね。安くて美味しくて、ちょっと気まぐれな店でした。うなぎは水槽で飼っていて、彼はその水槽を眺めながら、あんまり長く飼うと可愛くなって殺せなくてね、と言っていたのを覚えています。結構雑談もするようになり、別れた妻が年賀状を送って来てね、よくそんなことが出来るな、女の気持ちは分からないな、と怒るように言っていたのも何故か記憶にあります。職人肌で不器用で純粋な人でした。あるとき、僕は彼に連れられてその当時流行っていた街中の蕎麦屋にお昼を食べに行ったんです。一緒にそこの店主の前で蕎麦を食べた後、彼は店主に不満気に、味が余り宜しくないことと値段が高過ぎることを言ってました。やはり何か彼の中で許せないものがあったんでしょうね。本当に蕎麦を作ることが好きだったんだと思います。多少は意固地で傲慢なところもあったかもしれないけれど、それ以上に優しく世渡りが下手で曲がったことが嫌いな人だったんでしょう。その後、お店は休みがちになり風の噂に、山の中のレストランで雇われて蕎麦を打っている、と聞き車で食べに行きました。帰るときに丘の上にあるレストランのベランダまで出て来てくれて手を振って笑顔で見送ってくれたのが彼を見た最後です。

これから時々金沢に「あった」忘れられないお店のことを書いていきます。