花柄エナメル彩のブローチ

イギリス、1900年頃のエナメル彩のブローチ(4,2 x 1,4 cm)、15金の枠に黒い部分はガラスです。かっこいいブローチで個人的には好きですし、4,2cm の長さは日本人には使い易いと思います。可愛いけどシックなので洋服を選びますね何故か昔から自分が好きなブローチは中々売れないんです。どうしてですかね。


沖縄に居た学生時代にも色んなバイトをした。アドバルーン監視員というのをやったことがある。新規オープンのスーパーなどの屋上に高く上げられているアドバルーンが風で暴れたりしないよう監視するのだ。風向きが変わったりするとアドバルーンのロープを結い付ける場所を変えたり、激しい雨が降ったりするとアドバルーンを下げて屋上にある網の中に固定したりする、それが主な仕事で後は屋上に寝そべりぼーっと一日中空のほうを見上げているのが仕事だ。ただ、どうしても眠くなりついうとうとしたりするし、沖縄の冬は意外と寒いもので、アスファルトの上で寝ていれば身体も冷えてくる。

その仕事を一週間程しただろうか。場所は余り覚えていない、恐らく本島中部の何処か田舎だったと思う。昼休みには毎日近くで弁当を買って来て車の中で一人食べていた。水溜りと小石がぽつぽつとある寂しい空き地に駐車して食べていると、少し離れたところから小学一二年位の少年が一人、じっとこちらを見ている。痩せた坊主頭にヨレたセーターを着た寂しそうな子だった。その子は次の日もやって来て矢張り同じ位の遠さからこちらをじっと見ている。弁当が欲しいのかな、話し掛けてみようかな、などと思ったりしたが、彼が来た数日の間についに話し掛けることはなかった。あの頃、沖縄の田舎でナイチャー(内地の日本人)を見掛けることも余りなく、単に僕が珍しかっただけかもしれない。

今でも時々あの少年が水溜りの空き地に立っていた姿を何となく思い出すことがある。何故か忘れ難いのだが、何故なのか。

それは自分が小さかった頃、一人寂しかった頃の自分の姿と重なった形で、その少年のことが記憶されたのではないか、親の仕事で広島、大阪、福岡を転々と移動していた小さい頃、父と母が喧嘩ばかりで一人っ子の自分は恐らく暗い思いで日々を過ごしていた。その少年の姿が記憶から消えないのは、知らぬ間にその寂しそうな姿は自分の立ち姿でもあり、実はその頃の自分を重ねるように思い出していた、ということではないか。

別に昔の感傷に浸りたいわけではない。過去の未整理の感情をさも特別なものであるかのように仕立てて「作家」と呼ばれながら食っている俗物は嫌いである。ただ僕の記憶の仕組みが、ふと見た少年の姿を自分の幼少の頃と重ねて無意識に記憶の中へ仕舞い込んでしまった、その働きに興味を持ったのだ。