1800年頃の水彩画

1800年頃の水彩画(20,5 x 17 cm、端が少し切れて全体が写っていません)、エンボス加工が施された紙に書かれています。古いエンボスはとても魅力的です。確かこの頃のエンボス加工は人力でプレスしたはずです。表には、沖に停泊している帆船が描かれていますが、裏を捲ると、小さな水彩画がもう一枚。暗い部屋で台のような物を囲んで三人の人と猫が二匹描かれています。裏の絵は後から貼ってあるので、少し時代が後かもしれません。両面に絵が貼られていてちょっと珍しいのと、エンボスがとても綺麗です。まだ額に入れてませんが、額に入れると片方しか見られないので、両面をガラスにした物を作って貰ったら良いかもしれませんね。

さて、連日のホームページ更新で書くことがないわけではないのだが、書こうと思ってメモに取ってあることも気が乗らないとどうも書けないもの。今日はリスクについて手短かに思うところを生意気にも書いてみますので、軽く読み流して頂ければと思います。

コロナ騒動が深刻になるにつれて、日本でも色んな政治家が私たちに向けて話しています。そんな姿を見ていると、リスクがある中で色んな要素を加味しながら、その中でバランスを取りながらも多少のリスクを敢えて冒して話す、そんな話し方を出来る人がまだこの国には少ないのかな、と思います(だから、無言か暴言かの何れかになりがち)。勿論、今の日本のように発言者の揚げ足をとるのに熱心な人がこれだけいればそのような話し方をするのは至難なことかもしれません、だから聞く側の質の問題はあるでしょう。でもね、それにしても、この国には話せる人が少な過ぎる、と思いませんか。聞いていてちっとも心に響いて来ない、空疎、カラなんです、聞いた後に何も残らない。話すことはそもそもリスクを取ることだし、リスクを取らずに話す人はもうそれだけで不誠実なんです。リスクを自分の責任の範囲で取れる人が大人なんだと思うし、そんな人が集まってこそ成熟した社会と呼べるんじゃないかと思いますが、僕の考え甘いですかね。もっと、大きく言ってしまえば、生きるってリスクを取ること、だと思うんです。勿論リスクは少ないほうがいい、に決まっているが(いやそうじゃないかも、とも思う)、それが限りなくゼロに近づいたらもうそれは、生きる生きている、とは言い難いと思うんですがね。僕の考え、偏ってますかね、、。

お元気で!