18世紀の銅版画(続き)

少し前に載せた18世紀の銅版画と同時に仕入れたもう一枚の物です。額のサイズは前の物と同じ、版画はこちらのほうが大きいです。二つとも同じ工房の物だと思います。時代、サイズ等は前のページをご覧下さい。

前のホームページのときに少し書いたりしていましたが、二十代の後半、'89年〜'92年にかけて三年半、アイルランドのダブリンに住んでいました。ダブリン市内の南側、ラスマインズ(Rathmines)という街にフラット(アパート)を借りていました。眺めの良いリビングに小さなベッドルームとキッチンが付いて、家賃は確か月約二万四千円で、赤ら顔の男の大家さんが時々直接家賃を集めに来ていました。二階には僕とパトリックという名の50歳位の男性が住んでいて、彼はもう何十年も失業中で、失業手当で暮らしながら昼間からビール飲んで週末は釣りに行くような生活。やる気のなさそうな痩せてひょろっとした風貌で、シャワーとトイレは彼と共同で、ドアを開けたホールの横にあり、時々50ペンスをシャワー代としてホールに設置された機械に入れる仕組みになってました。そのシャワーが恐ろしく汚く、天井のペンキが剥がれて縮れ、それが上からダラーっと垂れ下がっていて、とても気持ち悪いんです。そして何故かライトの色が真っ赤で、付けると昔の娼婦宿かいなと思うような暗くて赤い色がくすんだ壁を怪しく照らし、出てくるお湯も、突然水に変わったり気まぐれで、極め付けは、足元の排水口がよく詰まるんです。長い間浴びてると、髪の毛やらが絡まった汚い水が下から溜まって来るので、足場の排水口より一段高いところに立ち、汚い水がそこまで押し寄せて来る前にシャワーを終えないといけない。その怪しい赤いランプが照らし出す壁がとても気持ち悪く何時も目を閉じてシャワー浴びてました(まあ今ではいい思い出の一つですが)。

一階には三部屋あり、モリシャス島出身の中華系の医学生と、入り口のところには一つの部屋にジョンとメアリーという、これも50代くらいだったかな、カップルが住んでました。当時のアイルランドは離婚が出来なかったので、彼らのような年配のカップルが結構同居していました。電話はアパート全体(建物は19世紀半ば位に建てられた物で、ドアの外にはフット・スクレイパーと呼ばれるヴィクトリア時代に使われた鉄の泥落としがありました)。電話は古い黒電話(掛けるときにお金を入れAボタンをガッちゃんと押し、相手に繋がったらBボタンをガッちゃんと押す方式)が一階のホールに一台あるのみでみんなで共有してました。小柄でポッチャリのメアリーが電話係で僕の電話も彼女が殆ど出てくれて、下から、マソオー、フォーン・フォ・ユウ、って叫ぶんです。って書くと何やら親切なおばさんに聞こえますが、僕が居ないときに電話を取ると、電話の主に、マソオーは先ほど赤い車に乗った栗毛色の女と出掛けた、みたいに僕のプライベートを全部喋るんですね、それでいて、ホールで僕に会うと何時も手で十字を切りながら、マソオー、ガッド・ブレス・ユー(神の恵みがありますように)って何度も早口で繰り返すんです。一方ジョンは痩せて暗く、猫背で殆ど喋らず幽霊のようにノロっと歩いていて、二人が揃って部屋にいるときはメアリーが金切り声で一方的にまくしたてるのが延々と続き、ジョンの声は全く聞こえないんです。たまにホールでジョンと擦れ違うと、僕の顔を見ようともせず、猫背で幽霊のようにスーッと歩きながら力無く、ハーイ・マソオー、とだけ言うんです。

僕は当時日本人の補習校で土曜日だけ小学生に教えていて、確か父兄の方にカイワレ大根の種を貰い、共同の裏庭の一画で育てていたんですが、ある日どれ位育ったか見に行ったら、それが全部引っこ抜かれてなかったんです。多分ですが、猫背のジョンがやったのかな、と思いましたそのときは。それと近所の黒猫がよく遊びに来て、僕の部屋のリビングの窓のところで向こうのほうを向いて長い間じっと佇んでたりしました。僕の部屋からは古い家並みと芝生が遠くまで見渡せて、雨の日には降る小雨が芝生に当たる柔らかい音が聞こえるんです。綺麗な音でしたね。

懐かしい場所ですね。三十年前のことです。

またこれから時々この頃のことを書いていきたいと思います(じゃないと、もう忘れてしまいます)。