シルバーの小物を二つ。

シルバーの小物を二つ、シルバーのカクテル・ピン(長さ 8,3 cm)、ロンドン、1935年製とシガー・トレー(直径 6,8 cm、高さ 2,0 cm)、ロンドン、1946年製。シルバーのシガー用の灰皿は余り見たことがないですね。両方ともに未だ百年は経っていないのでアンティークではないですね、ヴィンテージですかね。

前に読んだ宇沢弘文さんの「人間の経済」(新潮新書)を書棚から取り出してパラパラめくっていたらこんな文章がありました。(同、51ページからの引用)

「・・その過程で私は一つ大事なことに気がつきました。(改行)それは、大事なものは決してお金に変えてはいけない、ということです。人間の生涯において大きな悲劇は、大切なものを権力に奪い取られてしまう、あるいは追いつめられてお金に換えなければならなくなることです。(中略)市場原理主義は、あらゆるものをお金に変えようとします。人間の持っている大切なもの、あるいは社会的共通資本であっても、お金に換えるといくらになるか、ひたすら追求していく。非常に極端なかたちの経済学、いやむしろ似非経済学と呼ぶべきかもしれません」

この部分を読んだときに心に残ったんでしょうね、自分は付箋をしてました。とても重要な言葉だと思います。変なことを言うなと思われるかもしれませんが、僕は今回のコロナ騒動とこの宇沢さんが指摘されている「あらゆるものをお金に換える市場原理主義」とは繋がっている、と思うんです。まだ上手く説明が出来ないんですが、何もかもをお金に換算して動かしていく今のこの荒廃した世の中に生きる僕たちの心の隙き間に、このウイルスがスーッと入り込んできてしまった。言い方は可成りいい加減ですが、そんなイメージを自分はこのウイルスに対して持ち始めています。詰まり、コロナウイルスは菌ではあるのでしょうが、何かもっと別の、僕たちの心に巣食っている邪悪なものの象徴でもあるような気がしています。このような状況を招いたのは実は人間自身だとも思えるんです。コロナも十分怖い存在ですが、荒廃しきった人の心も十分に怖いと思います。