磁器のカップを幾つか

左から順に、ウエッジウッド(1900年頃)、コールポート(1900年頃)、エインズリー(シルバーのホールマーク 1926年製)、シェリー(1920〜30年)の製品です。すみません、色がばらばらで統一感があまりなくて。全てイギリスの物です。エインズリーはそんなに好きなメーカーではないのですが、取っ手と受けの部分がシルバー製だったので仕入れました。後の三つのメーカーは全て好きですね。シェリーの磁器色は品がある美しさで好きですし、ウエッジウッドのこんな雰囲気の物もいいですね。

今から35年前、琉球大学英文科の学生でしたが授業に殆ど出なかったので確か除籍になっていたときの事だと思います。些細なことで思い悩み、突然に、歩いて沖縄本島を一周しようと思ったのです。住んでいた宜野湾市から徒歩で西海岸を歩き北上して行き、確か1月だったかな、最初の夜はホテルの建物と地面との隙間に潜り込んで眠りましたが、寒くて寒くて、二泊目とその次は宿に泊まり、最北端の辺戸岬の村には三日目の夜に着きましたかね、夜中暗くて長いトンネルを一人歩いてると後ろから来る車の音がゴーっとして来てこれが意外にも恐い。辺戸岬の民宿では夜は地元の人達とお酒を酌み交わして歓迎された記憶が薄っすらとあります。那覇の近くから来たと、地元のおじさん達に言うと、あんな恐い人達が住んでるところから良く来たね、と言われたのを覚えています。辺戸岬の少し手前にあった村の共同売店の灯りが何とも寂しくて、昔にタイムスリップしたようで、あぁ遠くまで来たんだな、としみじみ思いました。それに方言が凄くてみんなが何を話してるのかすらサッパリ。辺戸岬の民宿で泊まった翌朝お土産に小さくて堅いみかんを貰ったのを記憶しています。その後東海岸沿いの道を下っていくのですが、東側の方が距離が長く村と村との間も遠くて、どうしても夜の間に次の村まで辿り着けずに、給食を配達するおじさんの車に乗せて貰い、ここでも確か何か給食の余りみたいな物を食べさせて貰ったような。その晩は村の公民館に泊めて貰ったと思います。そして最後の夜は脚が痛くて痛くてやっとのことでコザ(沖縄市)まで辿り着き、怪しい歓楽街にある連れ込みホテルみたいな宿のドアを開けると、ネグリジェ姿の中年女性が奥から出て来てそこに泊まりました。暗く汚ないすえた臭いのする部屋でシーツも汚なく、そこのベッドに横になり頭の上にあるベッドの枠木の板を見ると、縮こまった荒れた字で、愛は七転び八起き、と書いてありました。それを見て当時の自分が何を思ったのかもう覚えてませんが、ただその字がとても印象的で、暗いところから出て来たネグリジェ姿の中年女性とこの言葉がセットになって今でも僕の中に残ってます。

歩いていた一週間は小さいノートを持ち歩いていて思うことを色々書き付けて歩いてましたが、そのノートも何処やらへと消えてしまいました。今見てもきっと恥ずかしいことしか書いてないと思うので、なくして良かったと思います。