シルバーのレディース・ウオッチ

シルバーのレディース・ウオッチ(ヨコ 17mm、リューズ含まず)です。シルバーケース部分のホールマークを調べると、1979年製でした。古くないですね。ただ、時計のフェイスには、INCABLOC、と書かれていて、これは時計の衝撃を緩和する装置なのですが、わざわざこれをフェイスに書いていることから察するに、中身はケースより数十年古い可能性が大です。つまり、ケースを後でわざわざシルバーで作り直したということです。そう考えると面白いです。時計は全て時計屋さんでメンテナンスをして貰ったものだけを並べてありますので、これもしっかり動きます。手巻きですね。ムーヴメントはスイス製、シルバーはイギリス製です。

昨日は本屋で梅崎春生の「怠惰の美徳」(中公文庫)と言う本を買いました。エッセーと短編を集めたもので殆どのものが70年以上前に書かれています。彼の名前は知ってはいましたが読むのは初めてで、昨晩から今朝にかけてあれこれ三分の一程読んでいたのですが、とても面白いのです。「文学青年について」、「私の小説作法」などは余りの面白さに声を出して笑ってしまう程でした。机に付いてヘッドホンでギドン・クレーメルのCD、New Seasonsを聴きながら、パイプを燻らしつつ、この本を読みクスクス笑っておりました。そんな三つも同時に、何れかにしろって感じですが、三つともやりたかったんですね、ハイ。流行る文学作品が何故ウスイ(薄い)のかと言う話を、温泉の湧出量に喩えて、流行らせるには温泉の量は限られているので、どうしてもみんなに行き渡らせるには薄めざるを得ない、と言うようなことが書かれていて、彼は「(一般向けの)小説は文学でなく、娯楽品である。換言すればパチンコ並みと言ってもよろしい」(81ページ)とまで言っています。昭和28年に書かれた文章です。

彼の文章を読みながら思ったのは、何故今の作家のものには、普通に楽しく読めるものが殆どないのか、と言うこと。この「普通に」と言うのが重要なんです。色々こねくり回したり、難しく書いてみたり、軽過ぎたり、新しいふりして実は古かったり、そんなのじゃなく、普通に楽しく読める文章。それが中々ないんです、だからつい古いものばかり読んでしまう。難解ぶって人間の深淵に触れているようなフリをしながらなんの新しさも実はなく、それって材料のムダじゃないとつい言いたくなるくらい肥大したアート作品より(個人的趣味の問題だが、僕は大きいアート作品を好まない。その大きさに必然性を感じられないことが多いからだが、それと現代美術は高すぎですよ値段が。僕はマーク・ロスコの絵にそんなに価値があるなんて到底思えない。全体的にその不自然な肥大感が目に付いてしまうのだ)、ありふれたごく身近なものを描いて、それでいて忘れ難いデッサンの佳作が見たい。そんな気持ちに近いですかね。