ウエッジウッド(Wedgewood)のカメオ・ブローチを二つ(左から、タテ 3,6cm、3,8cm)。枠は9金で、1900年頃の物です。品の良いカメオです。出しゃばり過ぎずさり気ない存在感。
今から35年前、僕は沖縄で大学に在籍していたものの余り授業には出ず、サークル棟の建物と学食と図書館の地下書庫を主に徘徊していました。英文科にいましたが、授業が詰まらなく感じ、古本屋でバイトしながら夜はコザ(沖縄市)の歓楽街で米兵と遊んでました。そんな生活を5年ほど続けた挙句、お金を貯めて今度はアイルランドのダブリンに行き3年半。そこで僕の二十代は終わりました。二十代の10年間は沖縄とアイルランドで過ごしたので、日本(本土)からは離れて暮らしていましたし、バブル期にはアイルランドでビンボー・フリーターをしながら暗い生活をしていたので、その数年間の日本のことは全く抜け落ちています。この10年の暗い時期が自分の人格形成期でした、今思えば。
この10年を知らないことは最初は自分の中である種のコンプレックスでした。高校で落ちこぼれ沖縄の大学に行き、そこもドロップアウトして、連日コザの歓楽街で遊び呆け、遂には日本が嫌いで出たくてしょうがなくなり、ダブリンに数年いたものの、何を成し遂げたということもなく、だらだらとボヘミアン崩れのような生活を送り、気が付けば二十代は終わっていた。その色々なコンプレックスをそれから自分の中で消化しながら考えていると、あの10年の日本からの「離脱」は宝だったな、と今は思えますが、その頃はただ辛いだけ。
コザの外人ディスコでステージにある巨大スピーカーから出て来る爆音を背にして、踊るでもなくそこにじっと立ち、キラキラ輝くミラーボールの下で踊り狂う米兵の若い男達や国籍不明の女達を俯瞰するようにボーッと眺めているときが、僕の心は一番静かに感じるのでした。
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