シルバー用に新しいショーケースを作りました。イギリスのシルバー・カトラリーが随分増えて来たので専用のショーケースが欲しいと思っていました。写真の通り沢山入ります。主に1750〜1830年頃のシルバーです。僕が一番好きな時代の銀器です。18世紀から19世紀初頭のイギリスのシルバーの質感、その独特の輝き、色気と言ってもいいかもしれませんが、それに僕自身も惚れ込んでいます。昔、まだ二十代後半でダブリンに住んでいたとき、アンティーク・フェアーで、1799年のダブリン製のシルバーのデザートスプーンを買いました。その辺りからアンティークシルバーの魅力、特に18世紀のシルバーの美しさを知るようになりました。でも未だその頃はほんの入り口に佇んでいただけ。18世紀の魅力にしっかりと浸るのはこの仕事を始めてからです。
18世紀イギリス特有の「色気」ってあるんです、ただそれを言葉で言うのは難しい。皆さんが「色気」という言葉で連想するようなものよりも、もっと抑制が効いていて控え目でとてもさり気ない、のがこの時代のイギリス物に特有の「色気」なんです。上品過ぎて見過ごしてしまう位にさり気ないんです。香水の匂いがプンプンしたり、肌が露わになっていたりは決してしないんです。媚びていない、分かる人にだけ分かればいいんです、とでも言いたげな「色気」なんですね。だから余計に魅力的なんです。この時代のアンティークの分かり難さと上品さは不可分なもので、それが「見えてくる」には時間が掛かります。
別の言い方をするなら、産業革命が18世紀後半にイギリス中部で起こり、それが本格化して広がって行くにつれて、イギリスアンティークの魅力の有り様が変わっていくんです。急増する新興裕福層の要求に応えるべく、効率良く作ることが前よりも求められるようになる、新しい裕福層の求める、分かり易い美しさ優美さへと物作りが移行していく、結果ビジネスとしても巨大になっていき、個々の物に宿る「美」は本質的なところで変容していく。もっと時代は下がりますが、'60年代迄の腕時計とそれ以降の物とを比較しても似たようなことが言えるかもしれません。
19世紀初頭だったかな確か、産業革命で手工業が失われていくのに反対して工場の機械などを破壊した一連の行為を「ラダイトゥ(Luddite)運動」と呼んでいます。この名前は英語の表現として今も使われています。僕はね機械が嫌いであまり使わないんだ、何て言うときにこの「ラダイトゥ」を使うんですよ、I'm a Luddite. みたいにして。スラングですがね。凄い人たちですね、破壊行為はいけませんが、このような運動にはとても興味があります。二百年後を生きている今の僕たちは正に同じような状況に置かれてますね。情報革命で失われていくものについて僕たちはもっと考えて、その喪失の実像を明確にするべきだと思います。
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