外山滋比古さんの本を読み始める、彼が四十代から五十代に掛けて書いた本「省略の文学」(中公文庫)その中に俳句論があり、読み始める。とても刺激的内容、「切れ字」の話し。外山滋比古さんは長生きをされ、彼の晩年の著作はちょっと” how to”ものみたいな本もあり、彼が70年代に書いたものとは随分違う気がする。70年代のこの作家はとてもキレがいい、スリリングなもの書きだ。残念なのはこういういい作家の昔の本を誰も読まないこと。しかも絶版。この作家ももっと評価されていいと思う、確か「エディターシップ」という本だったか、これも彼の名著だ。
くだらない本が飛ぶように売れ、素晴らしい本が忘れ去られていく。先日も街の本屋に山口昌男さんの本を探しに行ったら一冊もなかった、何たる知性の劣化、彼の本が一冊もない本屋は僕の中では本屋じゃない。新竪町のオヨヨ書林に行ったら、探してたのが置いてあった、流石。いい本が売れる訳じゃないし、売れてるからいい本とは限らない。洋服の流行みたいなものだ。
世の中AI、AIで五月蝿いが、本を読み考える、そしてまた読む、考える、これが基本。こういう地道な作業を今の人達は特別な環境で暮らす人を除き余りしなくなった。自分の頭で考えないのは生きていないのと同じ、「生きる」とは誰でもない独自の「自分」であろうとすること、それは「個性的」であろうとすることとは少し違う、僕はそんな安っぽい言葉には余り興味がない、または、自分がどう生きるのかを日々考えること、自分の周りで起きていることを理解する為に読む、考える、又は先人にどう生きるかを学ぶ為の読書。時代に流されないようにする為に本を読む。
本ばかり読んで人と交わらない人間もこれはこれでバカだと思う、本の読み過ぎも意味がない。偶に、小難しい本ばかりよく知ってる詰まらない人っていますね、それならいっそ読まないほうがすっきりしてていい。だから僕は所謂インテリは嫌いだ。
(インテリってもう死語なのかしら、最近余り聞かない気がする)
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