パンチ・グラスと嗅ぎタバコ入れ。

パンチ・グラス(高さ 8,6 cm、上部口径 7,4 cm)と嗅ぎタバコ入れ(長径 7,5 cm)、パンチ・グラスは1800年頃の物、イギリス製。取っ手の作りが変わっている、見ると持ち難そうだが、実際手に持つとピタッと手に馴染むから不思議。パンチとはラム酒かワインに砂糖やスパイスなどを入れたもので昔も皆んなでワイワイ騒いで悪酔いしながら飲んだもののようである。18世紀の文人サミュエル・ジョンソンの本などを読んでいても旅先で遅くまで騒いでパンチを飲んだようなことが書いてある。だが、この時代のパンチ・グラスはアンティークとしてはとても珍しい、当時はそれなりにあったのだろうが殆ど残っていない、殆どが割れたりしたのだろう、畏まったグラスより雑器のグラスのほうが残らないのかもしれない。今となっては珍品の部類に入る。嗅ぎタバコ入れは19世紀前半の物、イギリス製、水牛の角で作られている、上のアザミの装飾はシルバー製、渋いと言えば渋い。

今日本を読んでいて思い出したことがある、子供のとき、父親の実家がある田舎で凧を揚げていた、その当時としては新しい型の凧を父が買ってくれ、山に行き遊んでいたが買ったばかりなのに風が強かったのか何かで直ぐに壊れてしまい使えなくなった、横で見ていた父がまた新しいのを買ってやる、と言う、僕は勿体無いからいい、と言うのをまた父は買ってくれた。父は僕のことがとても可愛くて僕にはとても甘かった、そうやって甘やかされて育ったように思う、それに一人っ子だったので兄弟と分け合ったりということも無かった、両親の仲はとても悪かったが基本僕は甘やかされて育った、三十くらいまでは親にも迷惑を掛けまくり、ワガママ一人っ子の典型だったように思う、もしかすると今もそれが抜け切れてないかもしれない。そのときの凧を揚げていた山の風景を今も何となく覚えている、凧が何処かに壊れて飛んでって父がもう一個買ってやると言ったときの寂しい気持ちは未だ覚えている。

両親がいなくなって初めて親の気持ちをやっと思ってみたりする、今頃、遅い遅過ぎなのに。実家の片付けをしたときに昔の写真が沢山出てきたので両親の若い頃の写真を眺めたりしている、生きてるときはそんなことなどしなかったのに。