江戸時代の絵、額は今の物。

イギリスで仕入れた江戸時代の絵(30,5 x 39,5 cm)、江戸後期か幕末頃だろうか、額に入ってなかったのでマットをダブルにしてシンプルな額に入れた、中々カッコよく仕上がった。どういう経緯でイギリスにこの絵が渡ったのかは分からないがまた日本に戻って来てこうやって額に入れられここにある。良い絵だと思う。下の白いマットは元々あったやつでそれに色違いのマットを重ねて仕上げて貰った。額の横幅が約40センチ、飾り易い大きさだ。

ここ二週間移動が激しかった、長野、松本に行き、翌週新潟へ、その翌日は売茶翁の展覧会を観に大阪へ日帰り、そして明日はオペラを観に東京へ日帰り。こんなに日本を移動するのは僕にしては珍しい、正直疲れた。それに机に着いて読み書きする時間も少なくなり、それも疲れの一因だろう。それでも色んな街に行き知らない店や初めての人に会うのは楽しかった。松本では蕎麦料理とジビエを出すお店「滿」(みつ)さんに行った、渋い佇まいの空間で美味しい料理を渋い器で頂いた、「引き算の世界」だった。上手に「引き算」出来る人というのは案外少ないものだ。新潟では皆んなに連れられ地元で有名な居酒屋「喜ぐち」に行った、お料理も美味しかったが不思議な雰囲気の、単に居酒屋と呼ぶには勿体ない、分類不可の独特の雰囲気を持つお店だ。坂口安吾の石碑も見に連れて行って貰った、安吾が小さい頃遊んだカトリックの教会にも行った、そこにはフランスのルルドの泉を真似て作った巨大な「泉」があり、まさか新潟で「ルルドの泉」に出逢うとは思いもよらなかった。売茶翁の展示では彼が使った茶道具を実際に見られたのがとても良かった、1675年生まれの彼は黄檗宗の禅僧だったが帰俗して、京都の市中を移動しながら簡素な茶店を開いた畸人であり、煎茶の祖のような存在だ。上田秋成や池大雅、伊藤若冲なども売茶翁に感化され慕っていたらしい、彼こそ本当の侘び茶、寂び茶の人だと思う。彼の茶店はお茶代は決まっておらずタダでもお茶を飲ませたそうだ、歳がいってからも担ぎ棒で茶道具一式が入った箱を担いで移動しながら茶を提供したらしい、実際に彼が使った茶道具を入れる箱や炭の火を起こすのに使った細い竹筒、店の前に立てた「清風」と書かれた旗も見て来た。利休が昔から好きになれない自分が行き着いた茶人はこの売茶翁だ。売茶翁は死の直前に自分が使った茶道具が俗な目的で悪用されることを恐れ、自分の死後それらを棄却することを命じている、実際にそのときの手紙も展示されていた、それでも極一部の道具は今に伝わり、当日も展示されていた。

「利休好み」という言葉がありますね、僕は柳宗悦と同じ考えで、そこまで利休の美意識を未だ有り難がり信奉することはないと思います、そこまで絶対的でしょうか、一度は疑うべきです。そこは安吾的に、一度「破壊」すればいいと思います。そこから始まるのですから。