子供が描いたような小さな絵。

ハガキサイズ、又はもう少し大きめのドローイング、子供が描いたような感じの物、シンプルな額に入れて飾ったらどうかと思い仕入れた、古くなく、三十年位前に描かれた物。拙い絵だが独特の魅力的なディテールがある。一枚モノクロの版画がある(最初の写真右下)が、息子が暖炉の火でトーストのような物を炙っている、横で優しく見守る母、向こう側で見ている妹。素朴な描写だが観ていると心温まる。その上の絵もいい、Cloud at end of main street 10am 、と書かれている89年の絵、通りに並んだ人達が小さく描かれている。そのモノクロの絵の左側の花の絵も魅力的だ。さっと描いた花だけど惹かれます。ここにあるような素朴な絵は心が綺麗じゃないと描けない絵ですね。全くの大人になるともうこういうものの見方を人間は出来なくなる、残念ながら。「大人になる」ってそう思うと詰まらないですね、ものを観る「眼」を失う訳ですから。一度大人になるともう子供のときのようには世界は映らない訳です、目の前にあるのは輝きを失った凡庸な風景。

僕は人に会うと先ずその人の眼を見ます、眼は心の窓ですから良く観察すれば決して嘘はつかない、眼の綺麗な人というのは矢張り心も美しい、歳を重ねても眼の綺麗な人もいれば未だ若いのに俗世にまみれ眼が薄汚れた人もいる。イギリスでアンティークディーラーに会うときも僕は眼をよく観て観察する。また、人は有名になったり大きなビジネスを手掛けたりしだすと、眼が汚れていく人もいる。眼が汚れていき、お金は増えて有名人になっていく、どっちが良いのかは本人が決めること。また、顔は笑顔なのに眼が決して笑ってない人もいる、これは間違いなく悪い人、要注意だ、儲けてる商売人やそれなりに地位のある人に偶にいる。こういう人は一瞬笑顔が途切れたときにイヤな顔が覗く、狡猾な顔。僕はやけに丁寧な人や何時も笑顔の人は嫌いだったりもする、だって嘘つきだから。売れっ子建築家で決して人の悪口を言わない奴、僕みたいに余計なこと口にしないから彼はウレテイル、とても慇懃なほどに丁寧で礼儀正しく、でも約束をサッと破る若者、何時も笑顔だけれど表と裏の使い分けが恐いくらい激しい美術館館長、カクテル作るのも上手でお客にお上手ばかり言いながら無駄に高級ワインを開けさせ儲けているバー経営者、僕に悪口ばかり言わせそれを黙って笑みを浮かべ聞いている有名デザイナー、彼女の着ているジャケットの生地は高級でそこだけ妙に輝いている。

皆さん、笑顔にご注意下さい、後、自分のことを矢鱈褒めてくる奴も要注意です。