暑いので誰も来ない、今日は特に暑い、ネットニュース(時事通信社)でガザの子供達が餓死しているニュースを読む、心が痛む、本当に酷いことだ、食料を求めて集まる人を攻撃して殺す、残酷極まりない、よくこんなことが許されているものだ、あり得ない。子供のうちに戦争で両手や両足を失ったら死んだほうがましだと思うかもしれない。オオタニショーヘイのニュース多過ぎじゃないだろうか、彼のホームランよりガザやウクライナ、アメリカの貧困層、そういうことが僕は知りたい。
人工知能(AI)の未来はそんなに明るいだろうか、幾らそんなものがあったとしても自分の生き方、人生については自分で考えるしかないし、知性と知能は全く別物だ、僕は物語を書くがそれは矢張り人間にしか出来ないことだと思うし、それは僕が生きるうえでの信念でもある。最近本を読んでいて気になるのは、矢鱈に改行が多いこと、何故こんなに改行するのか、読者をバカにしてるようでイラッとしてしまう。改行の多用は僕には劣化にしか思えない。
昨日本を探しに郊外にある大型書店に行った、本屋の中にカフェ(タリーズ)があり、学習スペース、高級マッサージ機などもあり、売るだけじゃなくて寛がせる空間が併設されてるのはいいと思った。文庫や新書なども可成りの数があるので、豊富な選択肢から実際に見て買えるのは贅沢だ。僕はこういう所にクーラーが効いてるからと長時間立ち読みして何も買わずに帰る人をどちらかというと軽蔑する、それは「盗む」行為に等しいから、人が一生懸命時間をかけて書いたものを本屋でタダ読みして帰る行為、店を維持するのに電気代等お金もかかっている。年配の男性にこういうのが案外いる。
母が死んでニヶ月になる、お葬式やイギリス仕入れ、死後の手続き等で忙しくあっという間に時間が経った。寂しいと感じることは余りない、部屋に母の写真を一枚飾ってある、朝とか夜にそれを見る、母が僕を見ている気がする。交通事故でボロボロになっても生きている母を見るのは辛かったのでこうやって元気だった頃の笑顔の母を見てるほうが良い気分だ。母のいない故郷に帰るのも空疎な感じがしないでもないがまぁそれも慣れるだろう、実家で書き物が出来るように安い机と椅子も買った。好きな民芸の器も少しずつ買い足している、矢張りコーヒー飲んだりご飯食べるときは自分の好きな器を使いたい。そのうち母が故郷に存在すらしていないことにも慣れると思う。
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