イギリス仕入れに行くことになり、6/21(土)迄休みます。

母が昨日(5/22)亡くなりました。夢を観ていたのです、子供の頃遊んでいた暗い川の支流が森に覆われ光差さずに流れている場所があり、自分はその流れに沿った土手に身体を横たえ、下にある闇のような川の流れに落ちそうになるのを必死に堪えていました、と、携帯が鳴り起こされます、午前12時43分、母のいる特養からです、今すぐ来れますか、とのこと、急いで用意して車に諸々積み込み谷あいの山道をひた走ります、濃い霧で右下に川が流れていて、それこそ先ほど夢に観ていた土手の上を車で走っているように思いました。深い山で深夜の獣道です、ヤコブ・ブロの ‘Gefion’ を聴きながら霧に包まれた山道を走ります、霧が深く車が浮いてる感じ、この不思議な、異界に行ってるようなドライブがずっと続けばいいとも思いましたが、半時間もしないで施設に着き母のもとへ。もう既に亡くなってました。僕が不思議な夢を観ていたときにきっと三途の河に行こうとしていたのでしょう。職員の方に断りモノクロで母の死に顔を写真に撮り、それから一人になり般若心経を唱えました。悲しくはなかったですし泣きもしません。早く楽になって欲しかった、だから悲しくはないし、四年前の交通事故のときの悲しみに比べたらなんでもない。

一度帰り二時間寝てまた施設へ。葬儀社の人が母をお迎えに来て、その白い車の後を付いて運転して行きました、パイプ咥えてコルトレーンがミルト・ジャクソンとやってるCD聴きながら、オレンジのサングラスかけて。葬儀社の人はきっと、変な喪主だな、と思ったでしょう。その後お昼過ぎまで葬儀社の担当の親切な女性に色々教えて貰いながら打ち合わせ、兎に角僕はこういうこと何も知らないので手取り足取り状態。

今日お通夜明日葬儀。楽しくやるつもりですが、交通事故の加害者側の会社についてはしっかりスピーチします。人の母親を半身不随にしておいて、四年間全く連絡無し、事故当日社長と従業員の加害者二人おかき持って来て謝罪したのみ。どれだけそのおかき持って叩き付けにその工作機械の会社に行こうと思ったことか。日田市竹田新町にある小さい工作機械の会社、ここの従業員に母は横断歩道を渡っていて跳ねられました。女社長は自分の従業員の交通裁判にも来ませんでした、その時点で従業員クビにしていたので来る必要はないと思ったのでしょう。母が最初に運ばれた病院からその会社まで徒歩二分の距離です。この四年間電話一本無し、あるのは「もち吉」のおかきセットのみ。この女社長お葬式に来ますかね、新聞の死亡欄見て。また後日報告致します、、。スピーチで泣かないようにがんばります、泣きたくないので。明るくやりたいのです。母は民謡、三味線を地元でずっとやっていて友達多かったのでお葬式はもしかすると参列者が割といるのかも。

6/4から6/20までイギリスに行き仕入れて来ます。最小限の仕入れですね二週間は、でも行かないよりずっと良い。お葬式も仕入れも楽しみたいと思います。

(写真は母のいた特養の部屋からの眺め)