小さな花瓶(8,8 x 4,9 cm) のように見えるけれど、もしかすると暖炉の火を使うときに用いる紙縒り(こより)や小枝を入れておく容器かも知れない、英語で spill vase と言う。1820年頃の物。大体ペアーで暖炉のマントルピースの上に置いておく。上品な磁器だ。横のグラスも同時代の物、ジングラスだ。
東京の電車や地下鉄で本を手にしてる人の少ないこと、ほぼ皆んなスマホ漬け状態、何でこんなにも皆んなが皆んな本を読まないのか。ロンドンでは車両に二、三人は本や新聞、つまり紙モノを読んでる人がいる。この違いは何処から来るのか、脳に及ぼす影響も大きいと思う。ここまでスマホ漬け状態だと、ものを考える、もの思いに耽る、何かをジッと眺めて過ごす、という時間もなくなるだろう、脳味噌は殆ど解放されることなく疲弊していく。意識をリリースしてぼーっとしながら考えるともなく考える時間、そんなときにふと閃く想い、視点、思考の繋がり、そんな時間の過ごし方を忘れつつある今の生活。
例えばこんなイメージだ、部屋が二つあって、一つは便利な生活を支える物が色々揃った部屋、その奥にもっと大きな部屋が控えていて庭もある、その奥の部屋には物は殆どなく空間が広がっている。其処の住人は手前の物のある狭い部屋でだけ生活して奥の広い部屋に全く行かない、まるでその存在を忘れたかのように暮らしている。庭にも行くことはない。
今の僕らの生活はちょっとこれに似てないだろうか、敢えて狭い部屋に閉じ籠り、奥にある空間に入ろうともしない、その存在を全く忘れている、庭を顧みることもない。やがて奥への通路は固く閉ざされ行こうにも開かなくなる、詰まりもう存在しないも同然になるのだ。
嫌な時代だと思う。意識的に何も無い「部屋」に行くのは重要だ。
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