フリーメーソンの指輪

フリーメーソンの指輪、9金、バーミングハム製、1965年、黒い部分はオニキス。最近は金の指輪が本当に無くて、これくらいの六十年位前のメーソンの指輪ですら前に比べると全然見掛けなくなった。簡単に言うと物がないのだ、特にゴールドの指輪は偽物もあるので怖い。ジュエリーを扱う人は悪い人も多いので要注意、扱ってる人が悪いと物まで悪いように見えてくる、不思議だが、人と物は似てくるのだ。

骨董そのものには勿論罪はないのだが、悪い人の処にはその人に似た物が集まり寄ってくるし、汚れのない綺麗な人の処には矢張り似た物が集まって来る。物のほうも人を選んでるのかもしれない。柳宗悦を読み続けている、とても教えられるところがあり、反省したりもしている。商売を長く続けていると慣れが生ずる、惰性だ、長いことこの仕事で仕入れたりしていると、あのグラスは持ってないから仕入れよう、珍しいから、売れるから、クオリティが高いから、形が面白いから、などの理由で仕入れていく、仕入れとしては間違ってないのだが、「一期一会」のような強い気持ちで仕入れている訳でもない、僕の今の仕入れの中で「一期一会」の言葉で形容出来るような強く深い仕入れがどれだけあるのか、と自省したのだ。物としっかり向き合いそれを買う、強い気持ちを持って物と向き合う、慣れてくると矢張り初心を忘れる、勿論感動的な仕入れもたまにはあるのだがそれよりも慣れの中で仕入れていることのほうが多い、だから次回のイギリス仕入れはもっと新鮮な気持ちで物と向き合うべきではないかと思っている。仕入れる物の数を減らすのもいいかもしれない、今までだったら仕入れてたような物も、気持ちが強くなければ買わない、まぁあってもいいかも、みたいな買い方はしない。本当に欲しいと思った物だけを少なく、そんな仕入れをすべきなのかもしれない。

慣れは良くない、慣れるとは後退の始まりだ。