この二十年で四台のカメラを使って来たのでSDカードもどれがどのカメラの物なのか分からない奴があり整理していた。それぞれのカメラ、Sonyの一眼カメラ二台とSonyのコンパクトカメラとパナソニックのコンパクトにSDカードを一つひとつ差し込みどのカメラのカードなのかチェックする、ここ二十年の写真が沢山出て来る。殆どがイギリスで撮った写真とアンティークの写真、それとお客さんや友人と撮った写真。2010年代でももう十分昔に思え、あの頃はまだ世の中が今よりは良かった、という感慨を覚え、詰まりは懐かしくなる。イギリスの田舎のアンティークフェアーの写真も今とは矢張り空気感が違ってのんびりとしている。十年以上前はまだスマホが普及していない。あの薄く四角い物が皆んなのカバンやポケットで携帯される以前、「プリ・スマホ」の時代。あの頃のほうが人は概してのんびりしていて今のように苛立ったり疲れたりすることもまだ少なかったように感じる。便利さの代償。便利さに慣れると人は怒りっぽくなったりキレ易くなる傾向があるかもしれない、そういう性質を誘発するのだろう。まぁ簡単に言うと、我慢が出来なくなる待てなくなる。待つ。これは世の中から消えつつある。amazonで夕方にポチッと買い物すると翌日届くことがある、便利を超えて恐い。異常な速さ、それを達成するために働く人に掛かる負荷とストレス。流通の最前線で働く人達に掛かっているストレスを想像するのは大切なこと、コンビニの経営者も身体を壊す人は多いらしい。
癌と鬱が多いのも人を緩やかに殺していくこの残酷なシステムと無関係ではないだろう。病む人が増えるとそれでまた儲かる業界がある。先日飲食店で出会った八十位のおじさんと話した、滅多に食べないカップラーメンをコンビニで買って食べたら生まれて初めて吐いてしまった、と。恐らくあの手の食品に使われる油のせいかなと思ったのだが、それを食べて吐き出す、詰まりそれを拒絶した彼の身体はまだ正常に機能しているということだろう。身体が冒されていないのだ。
ストレスは目に見えないだけでなく実体の無いもの、でも確実に人を捕らえ疲弊させ病ませていく。便利とストレス、について考えるのもいいと思う。
(写真は2008年のイギリス)
0コメント