3/4(火)休みます、すみません。

3/4(火)臨時休業致します。申し訳ありません。

今日お向かいの方と話してたら、今フェルメールが建っている場所について意外なことが分かった。昔この家が建っている場所には比較的大きな武家屋敷があり、昭和二十年頃には未だその屋敷に女の人が二人住んでいたそうだ。ぼくの家の真向かいも二三百坪の大きな武家屋敷だったらしい。大きな武家屋敷を壊して土地を分割し、その後に建てられた家の一つが今のフェルメールの建物。だからこの家の前の細い道も藩政期からあったことになる。どうやら新竪町三丁目の手前に新竪町四丁目という町名が明治頭にはあったみたいでそこから伸びる細い道が今のこの道。此処の近くには筆頭家老の本多家五万石の巨大なお屋敷があったので、恐らくその家来で中級武士の家がこの場所につい七十年前まであったかと思うと今こうやって部屋でソファーに横になっていても何となく昨日までとは受ける印象が違うものだ。屋敷の大きさからして此処にいたのは数百石クラスの中級武士だろう。数軒横の家には戦中軍人さんが住んでいて一階が厩だったのは知っていたがまさか自分のこの土地が武家屋敷跡だとは知らなかった。その後に此処にこの家を建てたのは能登の珠洲の人で此処で小さな呉服屋をやられていた。ぼくがこの家を最初に見に来たときは一階の畳の間にも炉が切ってありお茶が点てられるようになって般若心経の軸が掛かっていた。武家屋敷の一角、呉服屋、アンティーク屋、と面白い変遷だ。もしかするとこの地面の下にもその当時の侍家族が使っていた茶碗の欠片がまだ埋まっているのかもしれない。

写真は十二年前のフェルメールの店内、勿論新竪町にあったときの店。今よりも断然物が少ない、この十二年で扱っている物もかなり変ったのがこの写真からも伺える。長く通って頂いているお客さんがこの写真を見たら懐かしいと思う。此処はここでいい店だった、二十二年余りいたのでそれなりに長い時間。これからも攻め続け進化していくつもりだ。