シルバーとカットグラスのインク壺(シルバーは1893年、ロンドン製、高さ5,4 cm、上部径4,4 cm)、一緒に置いてあるのは同時代のペン(長さ、12,5 cm、10 cm)。インク壺は元々シルバー製の大きめのペントレーに嵌め込むように作られた物だと思います。インク壺としては高級品。
後一週間で二月も終わり春が近付いて来る、ぼくの場合は春が来るとイギリス仕入れが近付いて来た印でもある。今年も五月半ばから四週間渡英する、もう飛行機も宿も決めてある。仕入れの旅は気持ちを強く持つことが大切、何をするにしてもそうだが気持ちの強さはとても大切、あっさりしてはいけない。コロナ後の世界情勢はとても不安定、アメリカも狂っている、GAFAの連中もトランプの前にひれ伏し「メキシコ湾」はあっさり「アメリカ湾」になる。今まで当たり前にあった価値感や倫理観がガタガタと崩れていくこの頃。もしトランプが、今日から「Tokyo 」は「Edo」だ、そう呼ぼうと言えば、グーグルマップはあっさりと「Tokyo」を「Edo」に書き換えるだろう、日本人がどう呼んでいるかはお構いなしに。Metaもあっさり、今後ファクトチェックはしませんと言ったとか。権力者に媚びる巨大ITの所有者たち、「自由の国アメリカ」という、それが幻想であるにせよ、イメージがこんなにあっさりと崩れ去り溶けだすなんて、ぼくはそのことにとても驚いている。
ぼくはGAFAの連中は嫌いだ、彼らには矜持というものがないから、あるのは途方もないお金、権力に抵抗する気もなくなびくだけ。彼らの、データで世界を支配できると考えている歪んだ世界観も滑稽な程に変。彼らは巨額のお金を所有しているのかも知れないがあんな人間に成り下がるくらいならビンボーなほうがいい。一時期流行った言葉に「清貧」というのがあったが彼らの場合は「濁冨」という感じ、正に、富んでいるのだろうが濁って汚れてもいる、「濁冨」という言葉、何となく使ってみたが実際にこういう言葉はあるみたいだ。心を濁してまで富むくらいならばいっそ貧しいほうが気持ちいい。
情報社会という言葉が使われだして半世紀以上経つのかも知れない、でも、情報の集積が知性を有するとは限らない。身体を持たない「人工知能」という存在も「核」と同じく不気味で恐い。大体、頭だけでものを考える、というのがおかしい、思考には手も参与する、手の存在をないがしろにし、脳味噌オンリーになって来た近代というのが、先ずおかしい。実際、情報社会になってから人間の知的劣化は甚だしいと思うのだが、、。
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