選べない。

僕は1962年生まれ、昭和37年、高校を卒業したのが1980年、二十代は沖縄とアイルランドで過ごし三十で金沢に来た。自分が生まれる時代は選べないし、この時代に生を受けたことに何らかの意味があるのかもしれない、生まれる場所も選べない、容姿も選べない、選べないものだらけ。三十代を過ぎた辺りから徐々に自分を受け入れることが出来るようになるし、色んな諦めもつくようになる。僕自身二十代はキツかった、もう二度とイヤ、やり直したいとも思わない。五十を過ぎた辺りから自分が少しは観えるようになった、と思っている、多分。人の気持ちが分かるようになったのもそれくらいから、昔は自分のことで精一杯、ジコチュウそのもの、沢山の人を傷付けもした、親も随分苦しめた、他様に生きることは不可能だっただけ。歳をとって学んできたのか、それもよく分からない、瑣末な部分では人は学ぶものだが根っこは中々変わらないもの、同じ過ちを繰り返しながら人は死んでいく。

書や絵画や文学、音楽は老い始めてから徐々に観えだす、墓場が近付いてくる頃にやっとものが観えてくる、それが人生、人間の愚かさ。老いの愉しみはそういうところに静かにある。人生バンザイ、人生はちっぽけ、人生は儚いのかもしれないが、儚くてなにが悪い。

残された時間をどう愉しむのか、それがぼくの課題。