1843年製のレタークリップ(12,5 x 5 cm)、イギリス製。レタークリップと書かれています。百八十年前のクリップ。古いですね、ある程度の身分の紳士が自分の処に来た手紙をこれで留めたのですね、この時代のイギリスは手紙は馬車の定期便で運ばれたはず、世界最初の切手が出来るのが1840年、その頃に作られたこのクリップ、金属製です。店にあった同時代の手紙を挟んでみました。可成りのレアーアイテムですね。恐らくクリップとしては初期の物になるのではないかと思います。存在感あります。
読みもしないのに本ばかり増えます、ジャンルは絞ってるはずですがそれでも本は増えますね、一回誰にも会わずに一二週間部屋に籠って読み書きだけしたいです、時間が細切れになると中々難しい本をじっくり読んだり、深いものを書こうとしたりは出来ないですね。人に会うのは嫌いじゃないのですが会わないのも良いかなと思います。それでも僕の店はヒマですから充分に時間はあるのです、でも落ち着いて考えたりじっくり何かと向き合うには矢張り細切れの時間じゃダメですね、深く沈むように暮らしたいと思うのです。
僕は一人っ子で兄弟がいませんでした、これは自分の人格形成に大きく作用したと思います。父は仕事で家に余りいませんでしたから、大抵の日は母と僕だけ、両親は仲が悪かったので父が出張から帰る日が近づくと憂鬱そうで子供の僕に、帰って来なきゃいいのに、と言ってました。父が帰ると喧嘩の日々です、それか気不味い沈黙、初詣でに行くのに車で出掛けても半時間もしないうちに夫婦喧嘩が始まります、こういうときに兄弟がいないのは本当に逃げ場がないんです。家族三人揃って撮った写真がうちには一枚も存在していませんでした、そのことが夫婦の仲の悪さを象徴していたのかも知れません。
僕は一人で遊ぶのが好きでしたね、高校までは本など一冊も読みませんでした、勉強も嫌い、昔の勉強は暗記が主体ですからね、苦痛でしたね、今でも僕漢字が余り書けないんです、時々恐ろしいくらい簡単な漢字が出て来ない、こんなに沢山本ばかり読んでいるのに、漢字が出て来ないなんて頭おかしいです。暗算とかは速いですが、記憶が苦手、僕は二十代半ばくらいまで自分が頭悪いと思ってました。でも徐々にそうでもないらしいと理解したのです。それはアイルランドに行き向こうの(俗に言う)インテリ達と出逢い、彼らと比べて自分はそんなに馬鹿じゃないな、と実感したのです、その点で自分を「発見」したのは二十七歳でヨーロッパに行ってからですね、そう言った意味で僕の高校大学時代は暗黒の時代でした、大袈裟ですがね。自分で自分が分からず悶々としてました、それで毎日米兵達のいる危ない夜の街で遊びまくっていた。
人の知性は偏差値では測れません、出身大学もある一つの曖昧な指標でしかない、今の日本の教育や受験制度は歪んでいます、不登校が多いらしいですが、当然のような気もします。僕は大学入ったときはこれでも一応教師を目指していたんですね、高校のとき家庭訪問で真面目な担任の先生に、将来何になりたいのか、と訊かれ、先生です、と答えたらその先生が頬張っていたイチゴケーキを喉に詰まらせ噴き出しそうになったのを今でも覚えています。子供はこういうのは何時迄も覚えてるのですね、、、四十五年前の話。
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