久し振りの積雪。

久し振りに雪が積もりました、街中で30センチいかないくらい。生活に支障を来たすギリギリの量です、これ以上になると本当に大変になります。写真は犀川の桜橋からの眺めと店の前の通り、烏さんも橋から雪景色眺めていました。僕は犀川が大好きです、だからこの近くに住み続けてるのかも知れません。犀川は本当に四季それぞれに美しいのです。

何でもいと簡単に手に入る世の中ですが、本当に欲しい物は案外少なくないでしょうか、車、時計、洋服、カメラ、靴、など、そこそこに欲しい物で溢れ返っていますが、とても強く欲しいと思わせる物は少ないと思います。物に対する強い憧れみたいな気持ちは最近湧かないですし、そこまでの物が中々無い。だから僕などは古い物ばかり買っている、骨董、古本、古い車、古いカメラ。

それだけじゃないですね、これをしたい、とか、こんな人になりたい、とか、この人に会いたい、とか、そんな強く激しい気持ちが湧かない。ぬるま湯の連続のような生活、キルケゴールが言ったように、情熱を欠いている、そう言った意味では僕らは死んでいる。先日本屋で芥川賞受賞の本を開いて眺めました、根源的なものを欠いたところでなされる無意味な言葉の弄び、あいも変わらずそういった印象、あれは、先ず一年に二回を一回か二年に一回くらいに減らすところから始めないといけないし、該当作品無し、を作らなくなった頃から完全に商売化している。本が売れない原因の一つは本当に所有したくなるような、物として美しい本を作らないこと、その点では出版社や編集者にも責任がある。イギリスやヨーロッパの本は日本の本より断然美しい、ロンドンの地下鉄で前に座っている人が本開いていても表紙が綺麗だと思わず見てしまう、目がいく。

本当に欲しい物がない、したいことがない、というのは大きな不幸です。情熱を注ぐ対象を見付けられない訳ですから。情熱の無い人ほど常識を振りかざします、情熱家は非常識になりがちです。ただ、難しいのは、本当の情熱家は一見そうとは見えない、ということ、如何にもアツイ人、は実は情熱家でなかったりもする。「情熱は秘めるもの」なのでしょう、何時の時代も。