ナイーブ派の風景画

ナイーブ派の風景画(32 x 37,5 cm)、イギリスの物、時代は19世紀前半、額は良い額だが少し後の時代だと思う。とても好きな絵。色彩も素晴らしくポエジー溢れる絵だ。こういう絵は意外と少ない。こんな絵に出逢うと、自分は絵が好きなんだとつくづく思う。

ホームページを更新しない日が続くと心配して下さる常連さんがいて、連絡を頂くことが偶にある。有り難いことだ。塩井さん最近更新してないけどお元気なのかしら、お店やってるのかしら、具合でも悪いのかしら、もしかして急に閉店、、などと思われるのかもしれない。ぼくのホームページの更新は確かに波がある、一日に二回更新したかと思うと一週間空けたりで不規則だ。ぼくはなるべく義務感ではやらないようにしている、楽しくないしそれがきっと文章にも現れると思うから、それと頭が冴えてないときもやらない、詰まらないものが出来るだろうから。余り考えずに気の赴くままに書いてることも多い、まあこの「ゆるさ」がこのページの良さなのかもしれない、料理で言えば冷蔵庫に入ってる有り合わせの物でチャチャっと作った感じだ、だからレシピーもなければ再現性も低い。

そう言えば高校のときも公式を覚えたりパターンを覚えて解くのが苦手で数学は確率と組み合わせが得意だった、只管考えていると答えが出るので、唯模範解答と自分の解答方は何時も違っていて我流で解くのが好きだった。暗記は大の苦手、国語の文章読解も苦手で四択なんかは二つは明らかに違うので排除出来ても残りの二つが見様によってはどちらも真のような気がして其処で動けなくなり時間を浪費する。何処かで読んだ話しだが、小説の読解のテストでそれを書いた作家が自分で解いたら解答と違っていた、という話しも面白い。英語も苦手だった、構文とかイディオムとか意味のない暗記が死ぬほどあって詰まらなかった。

ぼくはどちらかというとものを考えるのが好きだったが、七十年代の九州の田舎で理屈ばっかり言ってる少年は、屁理屈ばかり言う、口から先に産まれた、理屈言う前にやらなきゃダメ、などと何時も言われてました。田舎の進学校もサイテー、暗い三年間でした、ぼくが明るいのは弁当の時間と休み時間だけ、あの頃の田舎の進学校は勉強のさせ方も根性一筋みたいで気持ち悪かった。今のぼくは英語出来ますが、高校で習ったことは邪魔にはなっても何の役にも立っていません、というか大体寝てましたが。

小一から小三まで街中の絵画教室に絵を習いに行ってました、何年か前、まだ母が元気だったときに、ぼくに何で絵を習わせたのか訊いたことがあります、あんたが自分で行きたいって言ったのよ、と言われましたがそれに関しては記憶がありません。地元で有名な水彩画の先生の教室に行ってたのですが、何時も周りの男の子とケンカして互いに相手の絵をグチャグチャにするので自分の絵は最後は何時も絵の具で真っ黒でした。それでも優しい江口清博先生は怒りもせずにそのグチャグチャを上から描き直して何とか見られる絵に変えてくれたことがありました。習字も同じ、終わるとケンカで何時も習字の紙は真っ黒、字なんか何処にもないのです。親は頭痛かったでしょうね、どんな大人になるんだろう、って。