今回仕入れたパステル画(36 x 44 cm、額の大きさ)、時代はそう古くないです、20世紀の物。イギリスの女性の画家の絵、有名な画家ではないですが何とも素晴らしい絵。正直売れなくてもいい、余り売りたくないなと思うくらい素晴らしい絵。良い絵はカメラでアップで撮っていると直ぐ分かります、良い絵は寄って撮っても絵が崩れないから。兎に角素敵な絵です。
絵は自分にしっかりした眼があれば良い絵を見つけることが出来ます、名の有無に関係なく良い絵はいいしダメな絵はダメなのです。今流行りの絵描きでも僕が嫌いな人は沢山います、芸術の世界にも流行があり、それはかなりいい加減なものでその物の真価とは余り関係がない。分かり易いものは流行り易い、ゴッホの絵でもデッサンだけで展覧会をしても人は入らないだろう、音楽家でも障害を克服したなどのエピソードがあると熱狂的に流行ったりする、地味なものより派手なものが流行る、アンティークでも同じ、派手な物のほうがお金が取れる。地味なものはそれを観る方も心静かにしておかないと観えては来ない、知性も要る、だから難しい。新書本でも流行るものには嘘がそれとなく薬味のように入れられているものも多い、論の進め方に一貫性が無く完全に破綻しているような本が版を重ねて売れていたりする。2016年にオックスフォード大学が選んだ「今年の言葉」は”post-truth”だった。インターネットの時代にあっては、あることが事実であることよりも自分にとってどうであるか、のほうが重要なのだ。自分を良い気分にさせてくれ自分にとって得になるものを優先する、それが真実や公平性を含んでいなくても構わない。こういう傾向は年々加速している。面白ければいい、便利ならばいい、お金になればいい。こういった短絡的思考に脳はどんどん侵されていく。そういう人がマジョリティになると政治や世の中もそちらにシフトしていき、面白くないもの、便利でないもの、お金にならないものは無用無益なものとされ忘却されていく。”post-truth”の船に乗れない者は孤島に置き去りにされていく。
これが今の日本、世界の大半で起きていることだ。この国でスマホの普及率が飛躍的に上がるのは2010年以降、まだ十五年しか経っていないのだ。
0コメント