今年最後の記事

今九州の実家に帰省しています、夜中に起きて東京新聞を読んだり、フランス19世紀の作家ドーデの「月曜物語」(岩波文庫)が本棚にあったので少し読んだり、ドーデの短編は国木田独歩の短編を思い出させ味のある文章です、昔の庶民の生き様の描写がこうやって時間を越えて読める、再現される、これは文学の持つ大きな力です。誰かが書いて残さなかったら永遠に消えた無名の人間の生活が書き残されることで僕たちの胸中で再生されそれが仄かな感動を呼ぶ。素晴らしいことです。少し前から僕はよく思うのですが、書いたものは残るけど書かれなければ消える、これは至極単純明快な事実です。書いて残す、これが出来そうで中々出来ないことなのです。今日も早朝の金沢駅でお手洗いに行ったら、縦長の小便器の直ぐ上に段差があり、其処に誰かが三角おにぎりを二つ少し離して並べ、置き忘れていた。少し離れたところから見るとそれは白い小便器に生えた角のように見え、ユーモラスだった。それとも誰かのイタズラか、目の前におにぎり並べて忘れる人いるだろうか、とも思う。未開封のおにぎりだったがこれを食べる勇気は僕には無いな、とも思った。写真を撮ろうかなとも思ったがこういうのは文章のほうが想像出来て面白い。こんな下らないことでも書いておかないといずれ忘れるのだ、どうでもいいことだが、書けばこうやって残る。

書くと書かないとの間にある差、書けば残り時間を越えて共有され得る、という当たり前のこと。勿論そこには描写力というテクニックがなければいけないのだが、書いて残そうとする意思、気持ちが先ずは大切なのだ。

今年一年有り難うございました。来年もどうぞお付き合い下さい。

(写真はイギリス、ブライトンのカフェで見つけたちょっと変わったお手洗いの水溜めタンク)