アンティークをイギリスで仕入れても直ぐに売れないことは多い、自分で良いと思っていてもぼくと同じように思う人がいなければ店の隅に居続けることになる、長いときは十年くらい動かず鎮座していることもある。もうその存在すらも忘れているとある日ふと誰かがやって来てそれを手に取り買っていく、ぼくも思い出したようにそれについて語る、物はそうやって売れていく。それは恰も長く生きてきた物たちをここでまた時間の中に浸けてその存在すらも忘れるほどに放っておくと、ある日それは動いて店を去っていく。勿論直ぐ売れる物もある、でもそうやって時間の中に浸けられてじっと待つでもなしに待っている物も多いのだ。そういう物が増えていくと店は不思議な雰囲気を帯び何処かしら三次元を超えた世界に思えるときがある、真っ暗な店に夜中に足を踏み入れたときなどそのような闇の重さを感じることがある、別に怖くもない、慣れているから。
アンティークを売るとは気の長い商売だ、期待しないこと、売れるとか売れないとかそんなことを超越出来ないといけないのだ、何も期待しないでいるとふと思いもかけず売れていく。期待する、という俗な感情との戦い。良い物は決して古びないし何時までも輝いている、ぼくの眼が変わることはあっても物は変わらない、人の一生を超えた時間の中にそれは存在している、先に消えるのはこちらなのだ。
無心になる、という言葉がある、無心にはなれないがそれに近付こうとすることは許されている。期待しない、物が其処にあるがままに置いておく、あることを忘れる、そのほうが物も落ち着く。
何もぼくは似非禅問答を書いてるのではない、商売の心構えについて考えているだけなのだ。
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