水彩画、恐らく、画材が水彩と少し違う気がします。画家の名前は、Hugh T. Rowson ‘66年5月に描かれています(額のサイズ 27,8 x 35,6 cm)。この絵、仲のいいスコットランドの友人から仕入れました。こうやって飾ってみるとこの絵矢張りとっても良い、何がどう良いのか分からないけど不思議な魅力のある絵です。絵はこうやって壁に目線の高さに掛けてみないと観えません、不思議ですね。何処となくイラスト風の絵ですが良いんです、、。
柳宗悦の「民芸四十年」(岩波文庫)という本の中に「利休と私」という小編があり、とても面白く読みました。余りに僕が日頃千利休について思っていることを代弁してくれていたので笑いながら読んだくらいです。柳宗悦が生前の頃、彼と利休を比べる人がいたらしく、それに答えて、俺はあんな幇間のような権力におもねる奴じゃないし、未だに「利休好み」などと言い有り難がるのもどうかと思うし、自分の目指すところはもっと高いところである、というようなことを述べられています。読むと分かるのですが、柳宗悦の言ってることはとても的を得ているのです、詰まり利休の「眼」を認めながらも絶対視しない、利休は秀吉やらの権力を上手く利用して自分の地位を築いた、お茶(茶道)というものがその成立の経緯からして可成り政治的なのです。政治と美は両立し得ない。僕も昔からそんなことを思っていました。「利休」という権威におもねりながら続いていくお茶という極めて政治的な趣味世界。柳宗悦はお茶の世襲制度、家元制度も厳しく批判しています。
一ヶ月くらい前に田村茂という写真家の写真集を買ったらそれに柳宗悦が日本民芸館でポーズをとってる写真が載ってて、中々柔和で良い顔をしているな、と思った辺りが、この柳宗悦の文章を読む伏線としてあったのです。彼は魯山人も認めていません。僕は魯山人が真似て書いた良寛の書が嫌いです。お茶処金沢に長い間住んでいますが僕はお茶はやりません、上に書いたようなことを言いながらお茶やってたら破門でしょ、、。お茶は政治ですよ、そう思います。
柳宗悦さん、生きていたらお会いしたかったです。本当に名文家です。
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