シャンパングラス(12,6 x 8,6 cm)、イギリス製、1870~80年。クープのシャンパングラス、カットが深い為かやや重めのシャンパングラス。ガラスの生地質はとても良い、クープ型のシャンパンはこれより古い物は殆ど見掛けない、これより古いシャンパングラスは全部と言っていいくらいフルート型だ。ただ、昔(19世紀初頭)のグラスはシャンパンもワインもエールも同じような形をしてたりして分類としては曖昧なときもあり難しい。この写真のグラスはクープのシャンパンとしては最も古いと言っていいと思う。カットもシャープでクオリティが高い。鉛の含有量が多いせいかカット面の色がシルバー色に輝いて綺麗だ。
やっと涼しくなった、夏が昔の倍くらい長い感じだ、前と後ろに伸びて何時迄も暑い、秋が短く、長い夏と冬がくっ付いた感じ、春と秋の風情が前より感じられないような気もする、季節の移行が徐々にではなくいきなりやって来る。雨もそう、いきなりドッと降る、雪もいきなりドッと降る。僕は俳句が好きで俳文や俳論を時々読むのだが、俳句の成立し難い時代だと思う。ここまで皆んながスマホに噛り付いて歩いてる時代、知らない人と触れ合うことの少ない時代、季節の風物が消えゆく時代、人が自然と触れ合わない時代。難しい時代だ俳句を作るには。俳句作ろうにも題材を探すのが大変だろうと思うのだ。フランス堂の句集が好きで何冊か持っている、兎に角装丁が美しい、句と句との間隔もよい。句がページにぎっしり詰まってたりする句集は頂けない、俳句は余韻の芸術なのに台無しだ。フランス堂の句集の中で中村苑子さんの物はとても大切にしている。昔の句集には俳人の住所とか書いてあったりして、改めて良い時代だったなと思う。昭和から平成の頭くらいまでは住所が書かれたりしていた。
長閑(のどか)さは障子のそなたこなたかな 月居
江森月居、1756年生まれの京都の俳人、二十代で蕪村門に入り、師没後は雲水となり諸国を行脚したらしい。この句は彼が二十一歳のときの作。二百五十年前の俳句ですが今詠んでも新鮮です。
僕は俳句の才能無いので俳文や俳論読んで遊んでる訳です。十七文字に一生を賭けた人生、とても魅力的です。
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