19世紀前半のナイフ色々

イギリス19世紀前半のナイフ色々(長さ 23〜24cm)、持ち手の素材は角、骨、木、金属と様々。19世紀頭のナイフは比較的大きいです。刃の部分はスティールで結構シャープです。仲のいいディーラーが持っていたので全部仕入れました。こういう個性的なアンティークは何時売れるかはさっぱり分からないけれど見たときに仕入れておかないと見ないときは本当見ないんですよ。変わったアンティークは何時もそう。強気で仕入れないといけない、売れるのは五年後かも十年後かもしれないけれど。物があれば何時か何処かから好きな人がやって来る。他のアンティーク屋が扱わない物を積極的に仕入れるのが「フェルメール」の特徴なので、それを止めたら意味がない。しかし、こうやって眺めると古いカトラリーの持ち手は魅力的です。カトラリーはイタリアからフランス、そしてイギリスへと伝わって行ったので、イギリスはカトラリー後進国なんですけどね、それでもこの時代のイギリスのカトラリーには独特の魅力、色気があります。

たまに本屋で文学賞を受賞した本を手に取りパラパラ捲り読みしますが、勿論そこそこ書けているのですが、何処かしら受賞することを意識して書かれたような「臭い」がして僕はシラけてしまう、そういう優等生的作品。それ以下でもないけれどそれ以上でもない。選考委員のウケを狙った作品なんてツマンナイ。

サッカーU23日本代表ゴールキーパーの小久保ブライアンの渾名が「国防ブライアン」だと今日知った、何でこんな戦時を連想させるような渾名をマスコミは無自覚に使うのか、ゾッとする。後、「美人すぎる」みたいに、「〜すぎる」を何にでも付けたがる最近の日本語の乱れ、そのうち当店にも若い子がやって来て、「アンティークすぎますね」なんて言うのを耳にするかもしれない。いや、きっと僕は我慢出来ずに言うだろう、その日本語変ですよ、と。それか早く退店するようにそれとなく促すだろう。まあ、そんな酷い日本語話すのは殆ど来ませんがね。

昔は夏の暑さに自信があった、日本最高気温を記録する九州の日田盆地で育ったので少々の暑さには強いと自負していたが、その自信も打ち砕かれつつある。過信は禁物だ。日中外に出るとオゾン層の破壊を肌で感じる。地球はそろそろ人間を排除したいんだろうな、と思う。これだけ地球を虐めれば無理もないことだ。人間もまた「振り出し」に戻るのかもしれない、どういう経緯で戻るのかは知らないが、、。

明治大正期の文学が素晴らしい理由の一つは「死」の影が何時も身近にあったことだと思う。「死」の影が極端に薄れていくと「生」の意味すらも感じられなくなる。皮肉な現象だ。「死」が遠のくと「生」も逃げて行く。

See you soon.