水彩画、子供のポートレート。

子供のポートレート(12,3 x 10,5 cm)、水彩画、イギリス、1830年頃。女の子に見えるがもしかすると男の子かな、昔ヨーロッパでは上流階級の男の子には女の子の格好をさせたりしたから。顔がとても大人びている。とても良いポートレート。

今日街中で昔の英会話の生徒さんに偶然会った、コロナの少し前まで店で英会話を教えていた。彼女は素敵なマダムでお嬢様も外交官である。先生もう教えていないんですか、今思い出すと先生の授業はユニークでした、と言われた。自分が良い先生だったとは思わないが確かにちょっと変わった授業だったかもしれない。教えるのは好きなので何時かまた英会話教室をやるかもしれないがそのときは、英語の本や日本語の本をテキストにして「読む」ことを中心にした授業をしてみたい。イギリス英語の発音を教えても良いが、今はテキストを読ませることに興味がある。今や色んなツールがあるので外国語なんて学ばなくてもスマホがあればよい、と思うかもしれないが、自分の身体に新しい言語を取り込み育てる愉しさはツールに頼ってコミュニケーションするのとは全くの別物だ。もう少し歳がいったら少人数の人に「言葉」を教える授業をするのも良いかもしれない。「書く」ことについて考える授業でも面白いかもしれない。それかもっとボーダレスな授業でも良いかもしれない、写真について語るとか、デザインの話しをするとか、、。皆んなが殆ど顧みない何かを取り上げて授業をする、いや、皆んなで語り合う。まあ何時かその気になり準備が出来たら始めたいと思う。まあその前に自分がもっと勉強しないといけないと思う、僕の中身は薄いから。

大体深い意味に置いて学校では「読む」とか「書く」ことについて何も学ばないのではないだろうか。まぁそんなものを学ぼうと思うことが間違っていて基本独学なのだろう。よく昔の職人が師匠から技を「盗んだ」ように、じっと観ていて盗むしかないのかもしれない。人に習っている時点でそれは自分の才能の無さを証明しているのだろう。

最近、井伏鱒二の文章にしみじみ感服している。若いときには分からなかったが彼の文章は素晴らしいと思う。滋味の世界だ。