アンティークは不思議

昨日大きなアンティークフェアである男の人からシルバー物を幾つか仕入れた。友人が昔から知っているディーラーで60代半ば位の誠実な印象のイギリス人で、シルバーとジュエリーを少し扱っている。彼からシルバーの物を買いながら、この人の持ってる物は汚れてなく綺麗だな、と思った、「汚れてない」とは物理的なことではなく、人のイヤな垢が付いてないという意味。アンティークは百年単位の時間を生きる、その中で人の悲しみや不幸を吸ってきた物もあれば逆に喜びや幸せに近いところにいた物もある。そういう、過去にどんな人が持っていたかが物の姿雰囲気にどうしても出る、現れる。アンティークを長年見てるとそういうものが見えてくる、物に付随する過去が朧げに見える。

「汚れていない」物を持ってるディーラー、その人も同じように「汚れていない」から自分に似た物が自然集まる、そういう物が引かれるように寄って来る。そう、そういう意味では「過去」は見える。ただ残念なことに大半のアンティークディーラー(古物商)は知らぬ間に垢にまみれて汚れていく。日本の骨董屋にもそんな人が沢山いますね、イヤな感じの人が。僕が今言ってるのは、そういう意味で「清潔な」感じの人。

今日本でも、オシャレ系とでも言ったらいいのか、インスタ多用してオシャレにやってる比較的若い骨董屋、あの子らも若い時はいいけど、徐々に垢にまみれていく、四十、五十越えた辺りから「汚れてくる」、そして俗っぽい普通の商人(あきんど)に堕していく。まあ、時代がそういうものを求めてる、時代の流れと言えばそうなのだけど、僕自身は大いに違和感を感じる。オシャレ感を演出するのは自分がやってることが本当に好きなのではなく、そこに何か別の思惑が入り込んでいる。そんな印象を持って僕はこの手の人々を眺めている。

明日は一日アンティークから離れる、こっちに来て連日の仕入れで可成りハードに動いていたので明日は休もうと思う。アンティークから少し離れたい。今いる宿の近くで使える飲食店やカフェも探したいし、この界隈に少し慣れたいので散策しながらカフェでも入ってみようと思う。ロンドンには様々な「顔」がある、それを探索するのも楽しい。