東京、高円寺のパル商店街を横に少しだけ入ったところに僕の行きつけの居酒屋はある、「風土」という名前。普通は夜行って呑みながら寛ぐのだが先日は時間がなく昼に行ってビール飲みながらサバの焼き魚定食を食べて店主のおじさんと話し込んで来た。この定食は何と650円、刺身定食も同じ値段。七十半ばのおじさんに何で値段を上げないのか訊くと、僕はプロレタリアートだからね、それに値段を上げるのに色々書き変えたり面倒くさいんだよ、と言いつつ彼の愛読書はポール・ヴァレリーとプルーストで、プロレタリアートとは真逆の世界。色々食材や経費も上がってるだろうにそれでも上げない、僕がね苦労すればいいんだからね、と言いながら、どうしても値段は上げないらしい。昼間も常連のお年寄りや若い子らで賑わっている。これはこれで信念を貫いてる、時代に逆らっているのだと思う。このときもカウンターの席で若いカップルが定食を食べていたのだが、その後僕は高円寺のもう一つの行きつけ、「カフェ ブラウン」に行くとさっき「風土」で食べていたカップルが入って来たので、偶然ですね、と会話した。福井出身の可愛い女の子にボーイフレンドは韓国の男の子。この二軒は互いに近くもなければ結構マニアックなので、二軒続けて会うことも余りないと思うのだが、彼らは検索して両方とも見つけたらしい。
まあ、そう言えば僕の店にも検索で探して来る人は時々いる。場合によっては検索は店を探すのに役に立つ。僕はこの二軒は高円寺の商店街を歩き回って見つけた、店の「顔」、佇まいに惹かれて入った。店を探すには只管歩くのが一番良い。そう言ってる僕も年齢のせいかそんな探し方を最近は前ほどやらないような気もしている。
時代、時流に抗う人がやるお店、儲けとは離れたところに信念がある人の店、そういう店は貴重だ。「不器用な店」とでも表現したらいいのか。そういう店には必ず「物語」がある。書いて表現したくなるような何かが潜んでいるものだ。最近はそんな魅力のある店に中々巡り合わない。これも時代のせいだろうか、、。
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