18世紀の木のパネル

イギリス、18世紀の木のパネル(32,5 x 18,5 cm)、オーク材。恐らく、古いドアか家具の扉の枠に収まっていた木板でしょう、素朴な雰囲気ですが味があります。真ん中の花のような彫りも良いですね。絵のように部屋に飾っても良さそうです。和骨董も同じかもしれませんが、西洋骨董も木の古い物は最近めっきり見掛けなくなりました。

最近「庭屋一如」という言葉を初めて知りました、日本家屋とその庭園が融合して自然一つに見えることを表す言葉だそうです。金沢の街中にある日本家屋で石川県が管理しているもので「石川国際交流サロン」と呼ばれる処があるのですが、其処の庭園が素晴らしく、其処を訪れたのが切っ掛けで知った言葉です。唯、「一如」という言葉は「生死一如」などのように本来仏教で使われる言葉、それを建築と庭のありようで使われると僕は違和感が若干あります。ネットで調べるとそう古い言葉ではないです、このテイオクイチニョは。

でも、言葉の意味は絶対的なものではないのでこうやって建築用語として誰かが使い始めそれが世間で認知されると其処にまた新しい意味(ニュアンス)が加わり、意味自体も変化していきます。ここで言っている「一如」は殆ど庭と家屋が「一体」くらいの意味でしょうからそれを敢えて「一如」と表現するのは嫌らしい気もします。僕が建築家ならこんな表現は使いません。話しは飛ぶようですが、在日コリアンの人でも伊集院と言う苗字を使ってた人がいますが、「伊集院」となると「金田」や「木下」と違って随分イメージが変わります。また、名前も「ミシェル・ド・モンテーニュ」のように真ん中に「ド(de)」が入ると何か由緒正しい家の出であるように聞こえます。

言葉から来るイメージに僕らはどうも弱いようです。それを利用して名前を変えたり屋号を由緒ありげなものにしたりでイメージ操作するのですね。金沢なんかでも、如何にも昔から金沢にいるような屋号の店で、実は全く関係無い店だったりで新幹線開通以来そういう店を偶に見掛けます。またちょっとずれますが、「金沢カレー」なんていうB級グルメがあり、それくらいはまあいいけれど「金沢コーヒー」とまでくると、なんの意味があるのでしょうか。それと観光客相手のアイスや色んなものに金箔入れた食べ物、これも悪趣味だと思います。まあ確かに金箔の99パーセントは金沢産ですがね、、。寒い日に「金沢おでん」に行列してる観光客見ると、そこまでしなくてもいいんじゃない、と思います。何にでも「金沢」を付けたがる傾向。胡散臭いですよね。こんなことばかりホームページに書いてると益々お客さん減りますかね、、。