調光器

先日調光器(Noatek)を買い足した。これで六個くらい持っていて部屋によっては二つの調光器があり部屋の明かりを細かく調整出来るようにしている。僕にとって部屋が適度に暗いのはとても重要なこと、恐らくヨーロッパに良く行く影響もあるだろう。ヨーロッパの人は間接光を効果的に使うのが上手だし、夜も比較的暗い空間で生活する。明る過ぎるのは心臓に悪いような気がするし、ものを考えるには暗めが良い。今の日本の照明は可成り暴力的である。そこまで照らさなくても、と思うことが多い、色気も雰囲気も無い、谷崎の「陰翳礼讃」からは遠く離れた世界だ。暗めの部屋で古本を読む、須田青華(青の字には草冠がある)の湯呑みでコーヒーを啜る、パイプ燻らし暗い照明に浮き上がる隣りの部屋を眺めつつまた本に戻る。こんな時間が今の僕には一番落ち着く。特に夜明け前の時間が好きだ、午前一時二時の空気感と夜明け少し前の感じはまた少し違っている。丁度、朝刊を配達するバイクの音が聞こえて来る時間だ。今は斎藤緑雨の伝記を読み始めたところ、斎藤緑雨の小説は一二度と挑戦したが読み難くて諦めたことがある。最近、フランス文学者の河盛好蔵さんが彼の小説はとても読み難いと言っているのを本で読み、ちょっと安心した。明治生まれの河盛好蔵さんでも読み辛いのだ。

部屋の暗さは人間の思考に多いに影響すると思う、暗いほうが内的な思考には適している。かといって、真っ暗だと思考するのは困難になる、若干の標べとなる灯りが考えるには必要なのだろう。パイプも真っ暗だと吸うのが困難になる、呼吸のコントロールが視覚情報と連携しているからだ、煙の出かたを殆ど無意識ながらも目で見て呼吸を調整している、それがパイプスモーキングだ。昔、アムステルダムの世界的パイプコレクターの家でパイプを吸いながら、彼にそのことを指摘したら、驚かれたことがある。そう、パイプは暗闇では吸えないのだ。

パイプ、青華、緑雨。この三つで僕はとても幸せになれる、但し部屋は暗くないといけない。