ヴェネチアン・モザイクのペンダント

とても綺麗なヴェネチアン・モザイクのペンダント(本体 6 x 4,3 cm、チェーン 47 cm)、外枠とチェーンはシルバー製。1900年頃でしょうか。とても美しいモザイクです、今まで僕が仕入れた中でも心に残る物です。適度な厚みがあるのも良いです。素晴らしいです、の一言。

今、鎌田茂雄さんの「正法眼蔵随聞記講話」(講談社学術文庫)をゆっくり読んでいる。彼はとても頭の柔らかい学者さんで、彼はこの本でも道元の言葉を説明するのに儒学者や太極拳、芭蕉など色んな処から引用してくるのでとても面白い。道元の言葉に「而今(にこん)」という言葉があるらしい、一瞬の中に永遠が入っている、ことを言うらしい、「而今の現成(げんじょう)」という言い方をして、ただ今そのときに全自己が現れている、今日今時に現成しているのが全自己であり全宇宙である、ということらしい。分かるようなそうでないような、でも二十代の頃難しい禅の本を読んでいたがあの頃よりは言葉がすっと入って来る気がする、勿論何時もそうではないが。若い頃より同じ読書でも行間を読むというのともちょっと違うが、言葉そのものを味わってるようなところがあり、その辺りが若い頃には出来なかったことだろう。禅の世界は極めて男性的で元々は主に武士階級のものでありちょっと高踏的な雰囲気もあり、一時期避けていたが、やはり禅宗に自分は惹かれる。唯、皆んなが朝から晩まで座禅をしたら誰がお米を作るのだろう、とか下らないことを考えたりする。でも、座禅をしている人は誰かが作ったお米がなければ生きていけないのも事実だと思う。お坊さんだからイコール偉いとか尊いとかは僕は全く思わない。袈裟を着た俗物も沢山いる、お葬式の下らないお説教、贅沢三昧美食家の坊主。昔、高僧明恵は差し入れられた食事を食べたら美味しく感じ、すかさず指で近くの埃を拭い取り口に運んで自分を戒めたそうだ。まあでも仏教の堕落は昔からのことで、驚くことではない。例外的に稀に「凄い人」がいるのだろう。

では皆さんまた、店はヒマです。