小さめのポートレート

イギリス、1820~40年の水彩画のポートレート(23,8 x 21,2 cm)。恐らく未婚の若い女性でしょう、見たところミドルクラスの品のある知的な女性。絵のスタイルは素朴派の画風に近い感じですが、一見稚拙に見えて要点はしっかりと押さえて描かれています。額もオリジナルですね。シンプルですが素敵な絵です。

日常の生活の中で知り合いというほどではないけれど時々会う人がいます、よく行くショップの店員、立体駐車場の監視員、スーパーのレジ係、フィットネスの職員、病院の受付の女性など、僕はそういう人たちとさり気なく短い会話をするように心掛けています。ちょっとした疑問から生ずる会話、一方的お節介、相手の仕事に関する素朴な疑問、何でもいい、短い会話を試みる。何の下心も意図もない純粋な会話。会話の為の会話。上手くいけばお互いの関係が解れますし、雰囲気も和みます。相手にとっても退屈凌ぎにもなるかも知れません。一度話すと次からは軽い挨拶交わしたりしてそこからコミュニケーションが始まる。後、何かに関して相手の好みや関心が分かると、それだったらこんな店ありますよ、とか、こんな本あります、とか、ちょっとした情報を伝えたり貰ったりする。

偶に「ポール・スミス」に行く。金沢のショップは意外と大きくて僕の好みを把握している店員さんが一人いてファッションにも詳しく洋服に対する愛情もあるようで好感が持てる。それと彼は僕に要らない物を決して勧めて来ない、だから安心して通える。会話しながら実際に見て触って買い物をする、例え値段が高くてもそれはそれで実際に買うまでのプロセスに対しての対価も含めたプライスだと思っている。趣味の買い物とはそんなもの。

今の時代は趣味の店というのは中々成立し難い、時間をかけてゆっくり会話しながら行きつ戻りつ買い物をする、ネット社会ではそれは本当に贅沢なものになってしまった。「効率」は世の中から「会話」を消し去っていきます。コンビニの自動レジがその一例ですね、僕はあれ嫌いです。飲食店の食券販売機も嫌い。

会話の無い街は殺伐としてますね、スマホに齧りついてる人にはちょっと話しかけられる感じではないですし。人と話す、って人生の基本要素だと思いますがね、それを殆ど捨ててスマホ中毒状態。もう、脳自体がスマホに洗脳されている、「スマホ脳」ですよ、今の若い子見てるとそう思います。人間として成長していくその発展途上段階でスマホが圧倒的力で入り込んで来る。人間には必ず何がしかの葛藤というものが心中にある、それが今の若い子見てると少ないように見えるんです。複数の対立する価値観を抱え込んで思考する能力、そういった機会をスマホは若い子から奪っている気がします。そうでなければいいのですがね。