鳥の巣の卵、ジュエリーケース

鳥の巣の卵を模したオパールホワイトグラスのジュエリーケース(7,5 x 9.5 cm)。フランス製、19世紀末。金色の部分は真鍮 。珍しい物だと思うし、置き物としても存在感がある。今回の買い付けで友人から仕入れた。

昨日くらいから普通に暮らしている、地震のことを考え過ぎても仕方ないし、何時何処で起きるかも誰にも分からない、だから考え過ぎず普通に淡々と日々を送ること。これはコロナが猛威を振るっていた二年間に自分が学んだこと、余計なことをせず、来られたお客さまに何時もと同じような接客をする。まあ来月になればまた徐々に平時に戻るだろう。

世の中が不安定になると、心の安らぎを古い物に求める人が少しだけ増えるような気もする。古い物を愛でる、これも現実逃避の一種だろう、遠い過去に想いを馳せ、その時代に自分の意識を重ねる。小説を読むのも逃避的行為だろう。コロナが始まった頃から自分の家に飾る小さめの絵を求めて来る人が増えた、それも一因で僕自身古い絵の仕入れにここ数年力を入れている。素敵な絵が一枚でも部屋に飾ってあると部屋の雰囲気をそれなりに変えてくれる。絵の仕入れの面白いところは、安くてもこちらの目さえ利けば良い絵は見つけられるし、高くても詰まらない絵は沢山ある。それだけ絵を分かる人はプロのアンティークディーラーでも少ないのだ。勿論値段にある程度は比例しているが、他の人が見落としてる「良い絵」は必ずある。唯最近は絵の仕入れは友人や仲の良いディーラーから仕入れることが多くなって来ている。良い絵を目の利かない人が偶々持っている、ということは稀なので、絵の仕入れは目利きの友人から、ということになる。イギリスは階級社会なので良い絵が分かる人もそれなりのクラス(階級)の人が多い。詰まり若い頃から良い絵を見て来たかどうか、という単純なことになってくる。絵を観る眼は急には育たないのだ。それと後は知性の問題でもある。幾ら良い絵を観ても受け皿の知性が欠如していては「ザルに水」である。厳しいがこれも現実だ。

最近、現代アートやら現代音楽が流行っているが、才能の欠如した人ほどそれに安易に手を染めたがる傾向がある。知識や技術だけで塗り固められた「作品」は空疎で滑稽ですらある。芸術の領域において才能の充分に無い人の自己承認欲求は痛々しい。あの世界も、最初にやった者勝ち、みたいなところがあるが、その賞味期限は短い。

今月も暇だろうからブログに精を出したい。