余震の心理的影響

なるべく普通に暮らしていて何時も通りに店を開け余り遠くには行かないけれど買い物やフィットネスにも行っている。時々余震がある。昨日も震度3くらいの揺れ、お客さんと話してたら地震が来た。お茶を飲んでたのだが咄嗟に二人とも立ち上がった。余震に何処かで怯えながら暮らしているからか聴きたいと思う音楽、読む本に変化が現れていて地震以来ジャズを余り聴かなくなっている。強風やトラックの通過などで少し家が揺れるとちょっと身構えてしまう、それで少しずつ神経が擦り減っていく。でも、夜は途中起きることもなく爆睡している。昨日来られていた方ともお茶飲みながら話したのだが、人間には「運」というものがある、運命といってもいい。だから過度に心配しても仕方ないと思う。なったらなったときどうするか考える。十五年前の能登大地震の時、その二日前に初めて輪島に行き友人の家に泊めて貰った。寝ていた部屋に大箪笥があり、もう一泊したらと勧められたが何となく金沢に戻った、その翌日輪島は大地震に襲われその部屋の大きな箪笥は倒れた。もう一泊していたら箪笥の下敷きになっていた可能性はある。泊めて貰った家は恐らく今回の大火で焼失した辺りにあったと思う。

運というものは自分で変えるのは難しいかもしれないが日頃から勘を磨いておくことは出来る。予感、または自分でも分からない無意識の選択、偶然の作用。人間は目に見えない何かに守られて生き延びることもあるだろう、自分の力で出来ることには限りもある。人間は小さい。

昨日は久し振りに金沢神社に行った。先日お客さまを見送るのに金沢駅の新幹線改札にいたら横から誰かに、フェルメールさんこんにちは、と挨拶された。知り合いの金沢神社の方だった。これは「呼ばれてるな」と思い、昨日の朝お参りに行って来た次第。こういうタイミングには意味がある。だから僕は素直に従う。目に見えないものほど大事だから。