夜中机に就て短篇を書く為のノートを短文で書いていた。自分が二十二、三歳の頃、大学にも行かず卒業もせず永井荷風にかぶれていた二年弱。人生の目的を失い糸の切れた凧のように色街を連日徘徊していた頃、大学にも意味を見出せずしたいことも無く単に遊ぶことにも倦み背徳的なものに強く惹かれそこに何かの美しさを見ようと若さ故の退廃的生活に向かっていたその日々。何時も奇声を上げたくなるような衝動が何処かに燻っていてかといって何をするでも出来るのでもなく、鬱屈と苦しい時期だった。その頃のことを書こうとメモを取っていた。懐かしいと言えばそうかもしれない、でもその頃の自分と今の自分は大きく違いもするが矢張りある連続性の中を生きているのだ、四十年近く前の自分は未だ自分の内に燻っているのだ、唯違いは今の自分は色街には行かないし、あの頃の色街はもう何処にもない。人間は歳がいったからといってもその根っこは同じ、変わりゃしないし成長もしない。
二十五のときに何とか「糸」を見つけ凧を手繰り寄せ僕は海外に行く準備を始めた。荷風の次はダブリンに惹かれ始めたのだ。そこには何か自分の求めているものが埋まっていると錯覚したのだ。ダブリンでも暗い石畳みの道をよく歩いた記憶がある。歩く場が色街から暗い石の道に変わっただけのことだ。僕は相変わらず同じものを引き摺って歩いていた訳だから。(写真の絵はロンドンの友人のベッドルームに掛けられてあったもの。これについては後日改めて書く)
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