年末年始は12/30(土)〜1/4(木)休みます。

12/30〜1/4の間お休みします。年始は5日から営業します。一年経つの速いですね、この間正月だったのにもう一年。一応九州に帰省します。そんなに誰にも会わず、お正月めいたこともせず一人で簡単な物食べて音楽聴いて、母の施設と御墓参り、神社は行きますがそれ以外は、実家に置いてある軽自動車でコンビニやニトリに簡単な買い物に行くくらいで、一人静かな正月を過ごす予定。昔から正月はどちらかと言うと苦手。子供の頃、先ず両親と三人で初詣に車で行くと必ず夫婦喧嘩が始まる、いつもそう、暗い、僕は、こんなだったらもう帰りたい、と言う。半泣きになる。御節料理も余り興味がなく、好きなのは黒豆の煮たのくらい。お正月に三人で仲良く会話した記憶なんか殆どない、僕の父は自分の息子とどう接したらいいのか最後までずっと分からずそんな自分に少し苛立っていたのだと、今になって思う。昭和五年生まれ。戦争に人生を大きく左右された世代だ。無口で職人気質、人生に対して思うことは色々とあったと思うが父の人生観など聞いたこともなかった。母は明るくお喋りで自分の戦時中の苦労話を僕によくしては、あんたも努力(勉強)しなさい、と言う結論になる。母は三女で父がこれから戦争になるという時期に三十代で急に病死し、母親が着物を売って食料に代えたり兵隊さんや学生さんを下宿させ戦争が終わるまで何とか凌いだ。親戚の家にも預けられ苛められたりで、それでもめげずに一生懸命生きてきた、長女は女学校に行ったのに、母はそれなりの生活から急に貧乏のどん底に落ち、女学校にも行けず今で言う中卒で、お茶汲みとして営林署に採用され、算盤や事務が得意だったらしくお茶汲みから正職員になり、皆んなに可愛がられ、八十代になっても営林署の同窓会には必ず出ていた。まあ、そんな「おしん」めいた話しを何度も聞かされた僕の嫌いな言葉は「努力」。まあでも、母は長い人生を良く働き抜いた人だと思う。不慮の交通事故で彼女の人生は突然「折れた」訳だが、もう気力が尽きていた、絞ろうにももう絞る気力が無かったのだと思う。もう人生の樹液は残っていなかったのだ。

僕は努力という言葉は好きではないが、努力は人生に大切だとは思う。努力しなければ人生では何も実らない。でも、この「努力」という言葉は好きになれない。それに努力したからといって必ずしも幸せになったり良い人間が出来たりはしない、努力はときに人を歪ませさえするのだ。

僕は今でもふと母に電話したくなるときがある、というか、電話をかけ話せる母が未だ何処かにいるような気になることがある。でも、いないのだ。別に悲しいとかじゃなく、その未だ開いたままの「隙間」を感じるのだ、そんなものなどもうないのに。