田舎の駅

時々ロンドンから朝早く電車に乗って田舎に仕入れに行く。冬は暗くなるのが早いので三時くらいから夕暮れが始まる。僕は田舎の駅が好きだ、イギリスの鉄道は最も長い歴史があるからか駅舎や陸橋などに何とも言えない味がある。ただ駅員さんはやる気のある人とそうでない人の差が激しい、鉄道じゃないけれど地下鉄の駅で先日も改札で何人かの駅員が集まってバースデーカードの寄せ書きをしていた。勤務時間中にバースデーカードの寄せ書き、日本の地下鉄では先ず見られない光景だろう。

今僕が滞在してる場所は地下鉄Bakerloo Line沿線だが、この線の車両は他の線と比べて何処となくて古めかしく僕は好きだ。二十年くらい前は確か車両の窓の部分は木枠が使われていたと思う。古い駅舎は不便だが本当に人格を備えてるようで面白い。日本なんかは新幹線が開通すると駅の建物を全部ぶっ壊して新しくし日本中に同じような駅ビルが蔓延り、駅前も開発で何処の街も同じような顔になる。ロンドンのMarylebone(メリルボーン)の駅舎のなんと素敵なことか、ロンドンに観光に来られたら是非見て欲しい。日本はそうやって地方都市は東京に奉仕する為の街になりある意味死んでいく。新幹線開通とは地方都市の均一化を意味する。便利にはなるが失われているものも目には見え難いが小さくはない。

日本は明治以降の近代化の中で便利さと不便さのバランスを取るのがとても下手だったように思う。日本の政治家や実業家にそんなバランス感覚を持った人が少なかったのではないか、西洋の模倣、便利さ速さに対する信仰、自然破壊に対する無知、そういったものが今の日本を形作っている。不便さを敢えて残すことで心の豊かさを保持する、不便さが与えてくれる生活のリズム、内省する力、想像力。そういった宝を失いながら日々の雑事に振り回され疲弊してるのが現代人の現状でもある。

不便さへの回帰(憧憬)は近い将来もっと大きな流れできっと起こるのでないかと思う。